井上康生
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スポーツライターの「井上光成」とは別人です。

井上 康生

2008年全日本柔道選手権大会で
基本情報
ラテン文字K?sei INOUE
原語表記いのうえ こうせい
日本
出生地宮崎県宮崎市
生年月日 (1978-05-15) 1978年5月15日(45歳)
身長183cm
体重103kg
選手情報
階級男子100kg級
段位七段
引退2008年

獲得メダル

日本
柔道
オリンピック
2000 シドニー100kg級
世界柔道選手権
1999 バーミンガム100kg級
2001 ミュンヘン100kg級
2003 大阪100kg級
アジア競技大会
1998 バンコク100kg級
2002 釜山無差別級


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井上 康生(いのうえ こうせい、1978年昭和53年〉5月15日 - )は、宮崎県宮崎市出身[注 1]日本柔道家(七段)、柔道指導者。東海大学教授

妻はタレントの東原亜希
経歴

2000年(平成12年)のシドニーオリンピックで金メダルを獲得。2001年(平成13年)の全日本選手権では絶対的エースであった篠原信一を決勝で破り初優勝。その後、大会3連覇を果たす。

2004年(平成16年)のアテネオリンピックでは日本選手団の主将に選ばれた。周囲からはシドニー大会に次ぐ五輪二連覇を期待されたが、準々決勝でオランダエルコ・ファンデルヘースト背負投で一本負けを喫した。敗者復活戦に回るも、三回戦でアゼルバイジャンモブルド・ミラリエフに大内刈を返されて一本負け。五輪二連覇の夢には届かなかった。

2008年(平成20年)4月29日の全日本選手権で高井洋平内股すかしからの横四方固で一本負け、北京オリンピック100kg超級の代表権を失う。この大会は石井慧が優勝し、北京オリンピック100kg超級日本代表の座には石井が就いた。

同年5月2日、かねてよりその圧倒的なポテンシャルから総合格闘技への転向が期待されていたが、柔道指導者の道を選び現役生活からの引退を表明した。

同月、日本オリンピック委員会(JOC)の2008年度スポーツ指導者海外研修員(長期派遣)に選定され、同年12月から2年間、スコットランドエディンバラに派遣された。留学先では英語研修と欧州の柔道指導法・柔道事情を研究する。

2003年(平成15年)ごろからフジテレビ系SRSの取材で知り合った東原亜希と交際。2008年(平成20年)1月に東原と結婚。2009年(平成21年)5月8日に第1子(長女)、2010年(平成22年)11月26日に第2子(長男)が誕生した。

2011年(平成23年)1月、スコットランドでの留学を終え帰国。同年3月に綜合警備保障を退職。同年4月より東海大学体育学部武道学科専任講師 兼 東海大学柔道部男子副監督に就任。全日本のコーチとして世界選手権に帯同した。ロンドン五輪後に篠原信一が惨敗の責任を取って全日本男子監督を辞任した後を受けて、2012年11月に新たに代表監督に就任することになった[1][2]

2013年(平成25年)8月には国際柔道連盟の殿堂入りを果たすことになった[3]

2015年(平成27年)4月に東海大学体育学部准教授に昇格。2019年(平成31年)4月に同教授に昇格。

監督就任後はそれまでの指導方法を見直し、科学的なトレーニングや他国選手の映像分析、他国の格闘技を学ばせるなど様々な改革に着手[4]。2016年(平成28年)8月、監督として初めて挑んだリオデジャネイロオリンピックでは、男子は金メダル2個を含む7階級全てでメダルを獲得し、低迷が続いていた男子柔道を復活に導いた。日本代表男子が全階級でメダルを獲得したのは1964年東京オリンピック以来52年ぶりのことであった[5]

2021年東京五輪では史上最多5個の金メダルに導き、9月末で2期9年の任期を終えた[6]

2021年9月、全日本柔道連盟に新設された「ブランディング戦略推進特別委員会」の最高責任者であるチーフストラテジーオフィサーに就任。同年10月、男子担当の強化副委員長に就任[7]
人物

宮崎県都城市生まれで幼児期まで過ごす。5歳から柔道を始める。出身道場は静充館(宮崎市)。シドニーオリンピック柔道男子100kg級金メダリスト。日本オリンピック委員会選手強化キャンペーンのシンボルアスリート制度適用選手。身長183cm。体重103kg。血液型はO型。

現役時代は綜合警備保障(ALSOK)に所属。2003年(平成15年)7月から所属先の綜合警備保障のテレビコマーシャルに出演していた。3人兄弟の末っ子で次兄の井上智和は元アジアチャンピオンで1999年(平成11年)嘉納治五郎杯国際柔道大会100kg級優勝者。2023年2月、智和のジャパンエレベーターサービスホールディングスが創設した柔道部の監督に就任[8]に伴い、康生がGMを務める[9][10]

2000年(平成12年)、シドニーオリンピックの男子100kg級で金メダル。前年にクモ膜下出血で急死した母の遺影を持って表彰台に立ち、大きな感動を呼んだ[11]

当初金メダルを獲った時に「オリンピックでメダルを取ることを一番楽しみにしていたのが母親、表彰台の一番高い位置にその母親の遺影を持って立ちたい」と思っていたが、日本の柔道の関係者から「表彰台には、危険物[注 2]を持っていけないことになっているからダメです」と言われていた。


2005年(平成17年)6月に実兄(長男)の将明(当時32歳)がクモ膜下出血で死去した。

一本を取って勝つことにこだわった姿勢で知られる。2005年(平成17年)1月の嘉納杯ではリバック(ベラルーシ)との決勝戦序盤で右大胸筋腱断裂という重傷を負いながらも痛みを堪えて試合を続行し、見事一本勝ちを果たして優勝した。

妻の亜希との間に双子を含む4人の子供がいる。

得意技は、内股。特に、大内刈との組み合わせに至っては、大内刈から内股への連絡技の際に、全く同じフォームから技に入ることが出来る。その他にも大外刈や、重量級では珍しく背負投の名手でもある。

出身校

宮崎市立大宮小学校卒業

宮崎市立大宮中学校卒業

東海大学付属相模高等学校卒業(同級生に森野将彦


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