井上尚弥
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井上 尚弥2023年3月2日、日本プロスポーツ大賞受賞式典にて
基本情報
本名井上 尚弥
通称Monster(怪物)[1][2][3]
階級スーパーバンタム級
身長165 cm[4]
リーチ171 cm[5]
国籍 日本
誕生日 (1993-04-10) 1993年4月10日(31歳)
出身地神奈川県座間市
家族井上真吾(父)
井上拓真(弟)
親戚井上浩樹(従兄)
スタイルボクサーファイター
プロボクシング戦績
総試合数27
勝ち27
KO勝ち24
敗け0
引き分け0
無効試合0
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獲得メダル
日本
男子 ボクシング
アジアユースアマチュア選手権
銅2010 テヘランライトフライ級
インドネシア大統領杯
金2011 ジャカルタライトフライ級

井上 尚弥(いのうえ なおや、1993年平成5年〉4月10日 - )は、日本プロボクサー神奈川県座間市出身。大橋ボクシングジム所属。現WBAスーパーWBCIBFWBO世界スーパーバンタム級統一王者。元WBC世界ライトフライ級王者。元WBO世界スーパーフライ級王者。元WBAスーパー・WBC・IBF・WBOスーパー世界バンタム級統一王者。世界4階級制覇王者WBSSバンタム級優勝。アジア人初、史上2人目の2階級4団体統一王者。

圧倒的な実力と完璧なボクシングスタイルから『日本ボクシング史上最高傑作』と呼ばれており[6][7]、世界で最も権威あるアメリカのボクシング専門誌「ザ・リング」が格付けするパウンド・フォー・パウンドランキングにおいて、日本人として初めて1位の評価を受けた[8][9][10][11][12]アマチュア時代には高校生にして7つのタイトルを獲得[13]し、プロ転向後も8戦目での2階級制覇[14]、世界王座戦22連勝、世界王座戦20KO勝利、世界王座戦70秒での最短KO勝利、世界王座海外防衛4度など数多くの日本記録を樹立している[15][16]

血液型A型[4]。既婚。三児の父親。弟は元WBC世界バンタム級暫定王者、現WBA世界バンタム級王者の井上拓真。姉もいる。従兄にプロボクサーの井上浩樹。父親の井上真吾は元アマチュアボクサーの実業家で、大橋ボクシングジム所属のプロボクシングトレーナーとして2人の我が子と甥である浩樹の担当トレーナーも務めている。
来歴
アマチュアキャリア

座間市立栗原小学校[17]1年で元アマ選手であった父の下でボクシングを始める[13][18]。初の試合出場は6年生の時で、全国大会で中学2年生の相手にRSC勝ちを収めた[19]座間市立栗原中学校[17]3年のときに行われた第1回全国U-15大会で優秀選手賞を受賞。

新磯高校(在学中に相模原青陵高校に改称。現・相模原弥栄高校[20]1年でインターハイ国体選抜の三冠を達成し、アジアユース選手権で銅メダルを獲得[21]

2年時には世界ユース選手権でベスト16入りし[22]、インターハイはベスト8に終わるものの、国体を連覇。また、初出場の全日本アマチュア選手権では決勝で林田太郎に敗れ準優勝。同階級の田中亮明(当時中京高、後の2020年東京五輪フライ級銅メダリスト)との対戦成績は4戦全勝。

3年時にはインドネシア大統領杯で初の国際大会金メダルを獲得。さらに世界選手権出場を果たし、フライ級で3回戦まで進むが、キューバの選手に12-15の判定負けを喫しベスト16。国内ではインターハイに加え、全日本選手権で初優勝するとともに技能賞を獲得[23]。高校生初のアマチュア7冠を達成した[13][24]

2009年のトキめき新潟国体ではライトフライ級に出場し、準決勝で寺地拳四朗(後のWBC世界ライトフライ級王者)を破っている。

2012年4月5日より、同年に開催されるロンドンオリンピックの予選会を兼ねたアジア選手権に出場し、ライトフライ級で決勝まで進むが、同月12日、2005年の世界選手権で銅メダリストになっている地元カザフスタンのビルジャン・ジャキポフ(英語版)に11-16の判定負けを喫して銀メダルにとどまり、目標としていたロンドンオリンピック出場を逸した[25][26](※試合内容の動画あり[27])。当時、19歳であった。
プロキャリア

2012年大橋ボクシングジムに入門[24]。ジムとの契約書には井上自身の希望で「強い選手と戦う。弱い選手とは戦わない」との条件が付帯された[28]7月2日に開かれたプロ転向・大橋ジム入りの発表会見では井岡一翔井岡)が持つ世界王座最短奪取記録の更新を宣言した[29]。プロテストはスーパーバンタム級B級ライセンスを受験[30]。実技試験は後楽園ホールの興行内で公開され[31]、日本ライトフライ級王者・黒田雅之(川崎新田)を相手に左右の連打でコーナーに追い詰めるなど、実力を示して合格を果たした[32]

プロデビュー戦は、10月2日に後楽園ホールにてOPBF東洋太平洋ミニマム級7位にランクされているクリソン・オマヤオ(フィリピン)と49キロ契約8回戦で対戦[13][33]。プロ受験時のライセンスはB級だが特例によりA級(8回戦以上)ライセンスが認められてのデビュー戦となり、A級デビューは1987年の赤城武幸以来25年ぶり7人目で10代は初[34][35]。また、この試合は深夜録画ながらTBSの地上波「ガッツファイティング」で中継された[35][36]。試合は1回に右ボディーブローでダウンを奪い、4回に左ボディーブローを打ち込んでマットに沈め4回2分4秒KOで勝利[37]。プロ転向からわずか3か月でOPBF東洋太平洋ライトフライ級10位にランクインし[38]、日本ライトフライ級6位にもランクされた[39]

2013年1月5日、後楽園ホールにて前WBA世界ミニマム級王者八重樫東(大橋)の再起戦を前座に差し置き、メインイベントでタイライトフライ級王者ガオプラチャン・チュワタナ(タイ)と50キロ契約8回戦で対戦。当初陣営は、世界ランカーとの対戦を計画し3選手と交渉し1選手とは契約寸前までいったが、相手側の交渉人が井上のデビュー戦の動画を見てキャンセルしてきたという。また、この試合はTBSによってデビュー2戦目としては異例の夕方に地上波生中継された[40]。試合はガオプラチャンの右の打ち終わりに合わせたシャープな左フックで相手をキャンバスに沈め、1回1分50秒KOで下した[41]。この試合で、デビュー戦以来2試合連続となる月間最優秀選手賞を東日本ボクシング協会から受けた[42]

2013年4月16日、後楽園ホールにて日本ライトフライ級1位の佐野友樹松田)とノンタイトル10回戦で対戦。この試合はフジテレビカスペ!EXCITING TIME)で生中継され、同局では21年ぶりのゴールデンタイムでのボクシング中継となった[43]。試合は1回に左フックで相手の右目尻をカットさせると、2回に左ボディブローのフェイントから左フックでダウンを奪うが、3回に打った右ストレートが佐野の頭部に当たった際に右拳を負傷。以降は右のパンチを打てず、左手一本での戦いを余儀なくされたが、それでも4回に左フックからの連打でダウンを奪い、10回1分9秒TKO勝ちで下した[44]。この勝利で日本ライトフライ級1位にランクされた[45]

5月19日の「ボクシングの日」イベントのトークショーに高野人母美(山上)らとともに参加[46]
日本王座獲得

2013年8月25日、スカイアリーナ座間にて日本ライトフライ級王者の田口良一ワタナベ)と対戦。試合は3-0(97-94、98-93、98-92)の判定勝ちで、辰吉丈一郎以来23年ぶりに当時国内最短タイ記録となる4戦目での日本王座を獲得した[47](2019年に女子の千本瑞規、2022年に男子の記録としても但馬ミツロによりともに2戦に更新される)。この勝利でOPBF東洋太平洋ライトフライ級1位にランクインし[48]WBA世界ライトフライ級5位[49]WBC世界ライトフライ級10位[50]WBO世界ライトフライ級15位[51]にもランクされた。


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