日本の政治家井上 哲士いのうえ さとし
生年月日 (1958-05-05) 1958年5月5日(61歳)
出生地山口県徳山市(現在周南市)
出身校京都大学法学部
前職政党職員
現職外交防衛委員会
決算委員会
政治倫理の確立及び選挙制度に関する特別委員会
北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員会
党中央委員
党書記局員
党参議院幹事長
党参議院国会対策委員長
所属政党日本共産党
称号法学士
公式サイト ⇒日本共産党・井上哲士参議院議員ONLINE
参議院議員
選挙区比例区
当選回数3回
在任期間2001年7月29日 - 現職
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井上 哲士(いのうえ さとし、1958年5月5日 - )は、日本の政治家。日本共産党所属の参議院議員(2001年 - )。党中央委員、中央委員会書記局員。党参議院幹事長兼国会対策委員長。 銀行員だった父の転勤先、山口県徳山市で生まれ、広島県で育った[1]。1983年、京都大学法学部卒業後、赤旗記者などを経て2001年、第19回参議院議員通常選挙比例代表で初当選。
目次
1 経歴
2 略歴
3 政治的主張
4 活動
5 所属団体・議員連盟
6 人物
7 脚注
8 関連項目
9 外部リンク
経歴
略歴
山口県徳山市(現在周南市)生まれ。
広島市立古田小学校卒業
広島市立庚午中学校卒業
広島県立国泰寺高等学校卒業
1977年 - 日本共産党入党
京都大学教養部自治会代表
京都府学生自治会連合執行委員
日本民主青年同盟京大地区委員長
1983年 - 京都大学法学部卒業
日本共産党京都府委員会勤務
衆議院議員梅田勝秘書
1991年 - 赤旗政治部記者
1996年 - 第41回衆議院議員総選挙で京都2区で出馬し京大法学部の後輩で新党さきがけ離党者で後の民主党代表前原誠司を凌駕、現職文部大臣で宏池会の重鎮奥田幹生に849票差まで迫ったが重複立候補しておらず落選
2000年 - 第42回衆議院議員総選挙で前原に完敗し落選
2001年 - 第19回参議院議員通常選挙に初当選(比例代表)
2003年 - 議院運営委員会理事
2004年 - 参議院党国会対策委員長
2006年 - 党大会で中央委員、書記局員
2007年 - 第21回参議院議員通常選挙に再選(比例代表)、参議院国会対策委員長
2013年 - 第23回参議院議員通常選挙に3選(比例代表)
政治的主張
当選以来、野党共同提案の民法改正案の提案者にも常に名を連ねるなど、選択的夫婦別姓制度の導入推進に力を入れている。2012年には民法改正を求める緊急院内集会において、「離婚の場合は旧姓に戻すことも元の姓を名乗ることも、子どもだけが元夫の姓を名乗ることも許されている。婚姻家族には認めないのは女性の人格権を蔑ろにしている」[2]「国会には一部だが根強い反対の声があって進まないが、実現できるように全力をあげたい」[3] と述べている。当選した際の最初の質問も選択的夫婦別姓に関するものであった[4]。
原子力発電所の再稼働に反対する[5]。
活動
2006年4月26日に東京・永田町の参議院議員会館で行われた「共謀罪に反対する超党派国会議員と市民の緊急院内集会」の呼びかけ人を務めた[6]。
2003年、静岡空港建設反対の国会議員署名活動で署名者に加わっている[7]。
日本共産党の機関誌しんぶん赤旗によれば、陸上自衛隊ヘリコプターの不正発注による官製談合で問題になっていた川崎重工業(神戸市)への防衛省からの天下りを指摘し、批判した[8]。
所属団体・議員連盟
アムネスティ議員連盟(副会長)
サッカー外交推進国会議員連盟(副会長)
死刑廃止を推進する議員連盟(幹事)
犬猫の殺処分ゼロをめざす動物愛護議員連盟
司法改革推進議員連盟(幹事)
在外被爆者に援護法適用を実現させる議員懇談会(世話人)
核軍縮議員ネットワーク・日本
日中友好議員連盟
日朝国交正常化推進議員連盟(委員)
参議院ASEAN議員機構対話推進議員連盟
交通事故問題を考える国会議員の会
公共事業チェック議員の会
「国会に保育室を!」推進議員連盟
ハンセン病問題の最終解決を進める国会議員懇談会
薬害ヤコブ病問題を考える議員の会
国連難民高等弁務官事務所国会議員連盟
金融消費者保護推進議員連盟
恒久平和のために真相究明法の成立を目指す議員連盟
共謀罪に反対する超党派国会議員と市民の集い(呼びかけ人)[9]