凡例井上光利
時代戦国時代
生誕不詳
死没天文13年7月28日(1544年8月16日)
別名弥次郎(通称)
主君毛利元就
氏族清和源氏頼季流 安芸井上氏
父母父:井上元兼
兄弟就兼、就澄、光利
子利宅
井上 光利(いのうえ みつとし)は、戦国時代の武将。毛利氏の家臣。父は安芸井上氏当主・井上元兼。兄に井上就兼と井上就澄。 安芸井上氏当主・井上元兼の三男として生まれ、毛利元就に仕えた。 天文13年(1544年)7月、尼子晴久は尼子国久とその子である誠久、敬久を総大将として備後国に侵攻し三吉広高を攻めたため、元就は福原貞俊と児玉就忠を大将とし、井上光利、粟屋元堅
生涯
子の利宅が幼少ながら、光利の後を継いだ。
脚注^ 『毛利元就卿伝』p.126-129。
参考文献
三卿伝編纂所編、渡辺世祐監修『毛利元就卿伝』(マツノ書店、1984年)
『萩藩閥閲録』巻125「井上弥兵衛」
更新日時:2018年9月3日(月)15:20
取得日時:2019/08/16 22:58