五虎大将軍
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出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2022年10月)

五虎大将軍(ごこだいしょうぐん)は、小説三国志演義』および小説『水滸伝』、またはその派生作品に登場する架空の称号である。
名称

五虎を冠した称号は、15世紀にまとめられた小説『三国志演義』においては主に「五虎大将」という呼称で現れ、「五虎上将」、「五虎将」とも別称される。小説としてまとめられる前の講談『三国志平話』では「五虎将軍」、吉川英治の小説では「五虎大将軍」と呼称されている。

中国でも統一されておらず、四川省綿陽市の三国史跡である富楽山公園の像には「五虎上將」と書かれているが[1]、中国語版のウィキペディアの本項目名は「五虎将」となっている。

本記事では「五虎大将軍」で統一する。
三国志演義富楽山公園の像(左から黄忠、趙雲、関羽、張飛、馬超)

五虎大将軍は、関羽張飛馬超黄忠趙雲の5名であり、その筆頭には関羽が任命された。漢中を平定し、漢中王となった劉備が、諸葛亮の進言により、信頼と功績のある武将五名に五虎大将軍の称号を授け、重要な軍事の際にはそれぞれ軍を率いて活躍し、軍事における中心的な役割を果たした。趙雲は他の四名より位が低く、関羽・張飛の2名は劉備の義兄弟であり、黄忠は老将、馬超は新参の武将と、地位・老若・経歴などは選出に問われなかった。
蜀志(三国志正史)での扱い

五虎大将軍の起源は、3世紀に書かれた歴史書『三国志』(「正史」)に遡る。
5人のが、『蜀志』第6巻 「関張馬黄趙伝」として、1巻にまとめて記述されている。

関羽、張飛、馬超、黄忠の4人が、それぞれ前将軍右将軍左将軍後将軍に任じられた。

趙雲はこのなかで比較的、昇進は遅く、新参の馬超、黄忠らに追い抜かれていた。ただし、これは劉備が漢中王に就任する前までの趙雲の任務が陳到とともに劉備の近衛部隊の指揮官であって、他の四人のように軍功を立てやすい前線で戦う武将でなかったことも影響している。
正史での評価
『蜀志』「関張馬黄趙伝」の「評」によれば、関羽・張飛は「万人之敵(一人で一万人と戦えるほどの猛者)」。また、『張飛伝』でも、程cらが同様の賞賛をしている。『馬超伝』本文では、馬超は「剛力(の持ち主)」、楊阜曹操に進言した際には、「韓信黥布の武勇」。「評」では「猛勇」。『黄忠伝』本文では、「勇毅冠三軍(黄忠は三軍筆頭の勇者)」。趙雲は、『季漢輔臣賛』に「忠義と勇猛さを兼ね備えていた」陳寿の評では黄忠とならび壮猛で軍の爪牙となった、と記述されている。
正史での関羽のプライド(馬超、黄忠に対するもの)
『関羽伝』には、馬超が劉備に下った際、「彼は誰に並ぶ者か?」と手紙で問いかけている。これに対し、諸葛亮が「張飛将軍には匹敵しますが、髯殿(ひげどの、(関羽の見事な頬髯にちなんだあだ名)には及びません」と返信している。関羽は返信に喜び、来客に見せびらかした、とある。劉備が黄忠を後将軍に任命する際、諸葛亮が「大抜擢であり、関羽将軍が納得しないのではないでしょうか?」と進言している。これに対し、劉備が「私自身が雲長に説明する」と答えている(『黄忠伝』)。
群雄との関り
関羽・張飛は劉備の旗揚げから付き添い、その死もほぼ同時期であった。また黄忠・馬超も同じ時期に死去した。劉備と劉禅両方を君主としたことがあるのは趙雲だけである。黄忠は劉jが曹操に降伏した際にそれに従って裨将軍に任命されたため、曹操を君主としたことがある。関羽も暫定ではあるが、徐州が陥落して劉備が逃亡した際に、曹操に従っていた時期がある。馬超も曹操が袁紹残党と争っていた時期に、曹操側の戦力として戦っている。独立した勢力のトップとなったことがあるのは馬超だけである。

人物将軍位封号諡号生存時期君主
関羽雲長偏将軍→盪寇将軍前将軍漢寿亭侯壮繆侯?年 - 220年劉備
張飛益徳征虜将軍右将軍車騎将軍新亭侯>西郷侯桓侯?年 - 221年劉備
馬超孟起偏将軍→征西将軍(自称)→平西将軍→左将軍驃騎将軍都亭侯>?郷侯威侯176年 - 222年馬騰→独立勢力→張魯→劉備
黄忠漢升裨将軍→討虜将軍→征西将軍→後将軍関内侯剛侯?年 - 220年劉表劉j曹操→劉備
趙雲子龍牙門将軍→翊軍将軍→征南将軍→鎮東将軍→鎮軍将軍永昌亭侯順平侯?年 - 229年袁紹公孫?→劉備→劉禅

水滸伝

梁山泊の役職。この上の役職は、総頭領と軍師のみで、軍人の中では最高の位である(水滸伝百八星一覧表)。編成は、左軍大将・大刀関勝、右軍大将・豹子頭林冲、先鋒大将・霹靂火秦明、合後大将・双鞭呼延灼、虎軍大将・双鎗将董平の5人。

なお、関勝は関羽の子孫という設定である(「大刀」とは、『三国志演義』での関羽の得物である青龍偃月刀を指す。青龍偃月刀を実際に使ったかどうかの記録は残されていないが、大刀の名手であったのは事実)。また、林冲は、得物が蛇矛であり、容貌が「豹頭環眼 燕頷虎鬚」と形容されている点から、張飛を元にしているとされる。
派生

『三国志演義』や『水滸伝』などの影響を受け、後世の他の演義小説にも、「五虎大将軍」と名付けられた組み合わせが数多く存在する。通常、『水滸伝』と同様に、他の小説の五虎将の中には、関羽(赤面、大刀を使い、仁義を重視する)と張飛(黒面、蛇矛を使い、暴れる勇猛さ)に似た人物もおり、残りの3人の設定は比較的自由である。
隋唐演義

瓦崗寨の役職。厳密に言えば、『隋唐演義』を基礎とした二次創作小説の中で、李密が瓦崗寨の主になってから、設置された職務である。しかし、小説から派生した他の作品では、程咬金(程知節)が瓦崗寨で混世魔王と呼ばれていた時に設置され、秦叔宝(秦瓊)は五虎将よりも地位の高い大元帥であったため、どちらの説も『演義』とは異なる。
『隋唐演義』などの小説の五虎将

飛虎将軍・秦瓊(左天蓬の転生)、?虎将軍・程咬金(土徳星の転生)、雄虎将軍・王伯当(牛金牛の転生)、猛虎将軍・邱瑞(架空の人物、「昌平王」と冊封された隋の元老、イメージは老将)、烈虎将軍・単雄信(青龍星の転生)の5人。邱瑞が戦死した後、羅成(白虎星の転生)が空席を補充した。
『説唐演義』などの小説をもとにした三次創作の五虎将

最も人気のある説は、赤髪霊官(小霊官)・単雄信、勇三郎・王伯当、緑袍帥・王君可(歴史上の王君廓をモデルにしているが、基本的に名前だけが同じ、イメージは関羽を参考にした)、鉄面判官・尤俊達(歴史上の牛進達をモデルにしており、王君可/王君廓に似ている)、神矢将・謝映登(架空の人物で、最後に仙人となり、唐太宗・李世民の時代が終わった後も唐の影の守護者となった)の5人。[2]
月唐演義

有名な「安史の乱」という歴史的事件を中心に、白虎星の3度目の転生・郭子儀を描いた小説の中の5人の武将。安禄山は白虎星と代々宿敵である青龍星として描かれているため、彼ら5人が手を組んで安禄山を破ったシーンは「五虎縛蒼龍(五匹の虎が一緒に蒼龍を捕まえる)」と呼ばれている。白虎星・郭子儀(双頭五輪駒、定国粉龍鎗、粉龍兜、粉龍甲、玄武鞭、震天弓、穿雲矢などの宝物を持つ)、黒虎星・尉遅勃(唐初の名将・尉遅恭の後人)、飛大帥・劉蛟、臥虎星・呉剛、聚虎星・林沖の5人を含む。郭子儀以外は基本的に架空の人物である。また、実際に神(星君)として扱われているのは、西方の擬神化・白虎の民間での呼称に相当する白虎星だけである。黒虎星は明清の小説の中で、仁・智・勇を兼ね備えた白虎星の転生に対応するものとして登場し、「単純な蛮勇を備えた」架空の星君を代表する。他の3人の星君は完全に小説家の自作だ。
残唐演義

『混唐演義』や『残唐五代演義』などを含み、黄巣の乱に始まり、五代十国の歴史を描いた物語の中で、金統帝・黄巣地蔵王菩薩の神獣・諦聴の転生、残唐十六英雄の第四席、紫金藤槍を使い、「殺人八百萬、流血三千里[3]」という宿命を背負った神剣・混唐宝剣を持つ)が築いた大斉国の5人の武将。作品では基本的に十六英雄の第一席、十三太保勇南公・李存孝の引き立て役として存在する。


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