函館市企業局交通部(函館市電)湯の川線の停留場については「五稜郭公園前停留場」をご覧ください。
五稜郭駅
ごりょうかく
Goryōkaku
所在地北海道函館市
所属事業者
北海道旅客鉄道(JR北海道・駅詳細)
道南いさりび鉄道(駅詳細)
日本貨物鉄道(JR貨物・駅詳細)
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五稜郭駅(ごりょうかくえき)は、北海道函館市亀田本町にある、北海道旅客鉄道(JR北海道)・道南いさりび鉄道の駅である。両社の共同使用駅であり、JR北海道が管轄する。JR北海道の駅番号はH74。事務管理コードは▲140102[1][2]。
本稿では営業キロ上で同一地点にある日本貨物鉄道(JR貨物)の函館貨物駅(はこだてかもつえき)や、かつて駅前にあった函館市交通局(現・函館市企業局交通部、函館市電)本線の五稜郭駅前停留場(ごりょうかくえきまえていりゅうじょう)についても記述する。
歴史
JR北海道・JR貨物・道南いさりび鉄道1976年の五稜郭操車場及び貨車区・機関区と周囲約1.5×2 km範囲。下が函館方面で五稜郭駅の構内端が見える。操車場南端から左へ少し上向きに分岐するのが江差線江差方面。右へ円弧を描いているのが路盤は完成したがレールが敷かれず結局未成線となった戸井線の遺構。操車場は函館本線の上下線に挟まれて左半分が下仕分、右半分が上仕分に分かれ、それぞれの引上線が長万部方面写真上端近くまで伸びる。操車場の南側中央には、北側に五稜郭貨車区、南側に五稜郭機関区が置かれて転車台がまだ使用されている。南端から左下に伸びる青函連絡船貨物便の有川埠頭へは操車場の中央線から跨線する連絡線が主力で、五稜郭駅方からの連絡線は余り使われていない。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービス
JR貨物五稜郭機関区、かつて設置されていたJR北海道青函運転所についてはそれぞれのリンク先を参照。
1911年(明治44年)9月1日:国有鉄道函館本線の駅として開業[3][4]。旅客・荷物を取扱い。
時期不詳:貨物の取扱いを開始。正確な時期は不明だが、1912年(大正元年)の停車場一覧では一般駅となっている。
1913年(大正2年)9月15日:国有鉄道上磯軽便線として、当駅 - 上磯駅間が開業[5][4]。
1922年(大正11年)
6月15日:函館工場が移転、五稜郭工場と改称[6]。
9月2日:上磯軽便線が上磯線に改称。
1924年(大正13年):線路移設により、北海瓦斯会社(現・北海道ガス)函館工場への専用線が函館駅から五稜郭駅へ移管。
1936年(昭和11年)11月10日:上磯線が江差線に改称。
1942年(昭和17年)
9月11日:五稜郭工場が五稜郭工機部と改称[6]。
12月27日:函館本線の函館駅 - 当駅間が複線化[7][8]。
1943年(昭和18年)1月10日:五稜郭操車場設置、一部使用開始[6]。
1944年(昭和19年)
1月10日:有川桟橋の第3岸壁(第1可動橋)が竣工[6]。青函連絡船(貨車航送船)による貨車の積み降ろしが開始。
9月30日:函館本線の当駅 - 桔梗駅間が複線化[9][8]。有川埠頭に青函連絡船(貨物便)用の第4岸壁(第2可動橋)が竣工[6]、使用開始。
1949年(昭和24年)6月1日:日本国有鉄道法施行に伴い、日本国有鉄道(国鉄)に移管。
1950年(昭和25年)
1月10日:五稜郭工機部が五稜郭工場と改称[6]。
2月10日:五稜郭貨車区設置[8]。有川埠頭に貨物駅設置[6]。
1973年(昭和48年)9月1日:五稜郭工場が苗穂工場五稜郭車両センターとなる[6]。
1977年(昭和52年)10月:駅舎改築[6]。
1980年(昭和55年)
5月1日:貨物ターミナル使用開始[6]。
10月1日:函館駅のコンテナホームを当駅に移転。コンテナ貨物の取り扱いを開始。
1984年(昭和59年)2月1日:五稜郭操車場使用停止[6]。同時に、有川桟橋での青函連絡船(貨車航送船)による貨車の積み降ろしも廃止。
1985年(昭和60年)3月20日:苗穂工場五稜郭車両センターが五稜郭車両所となる。
1986年(昭和61年)11月1日:荷物の取り扱いを終了[6]。五稜郭貨車区を函館運転所に統合。
1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化に伴い、北海道旅客鉄道(JR北海道)・日本貨物鉄道(JR貨物)の駅となる。江差線の当駅 - 木古内駅間を自動閉塞化およびCTC化。
1988年(昭和63年)