五條県(ごじょうけん)は、1870年(明治3年)に大和国南部・河内国南部の旧幕府領・旗本領を管轄するために明治政府によって設置された県。 1870年(明治3年)、宇智郡五條村(現五條市)に置かれていた五條代官所に五條県が設置された。その後、紀伊国内の高野山領、大和国吉野郡十津川郷を管轄した。しかし、翌年の第1次府県統合により廃止された。なお、五條県知事の四条隆平は引き続き奈良県知事を務めている。 以上のほか、「旧高旧領取調帳」では大和国葛上郡のうち29村(五條代官所)、宇陀郡のうち35村(五條代官所)を五條県管轄として記載しているが、明治3年11月の「五條御支配所高附帳」(与熊文朗氏文書)や明治4年11月の「社事ニ関スル官省伺上申藩県往復ノ件 五條県」(奈良県立図書館所蔵)では五條県管轄として大和国宇智郡・吉野郡、紀伊国那珂郡・伊都郡、河内国石川郡・錦部郡の6郡を記述するのみで、大和国葛上郡・宇陀郡の記述を欠いており、大和国葛上郡・宇陀郡の五條県管轄所に関しては「旧高旧領取調帳」の誤記と考えられる[1]。なお相給が存在するため、村数の合計は一致しない。 先代
概要
沿革
明治3年
2月27日(1870年3月28日) - 大和国宇智郡五條村(現在の五條市新町三丁目3-1)に置かれていた五條代官所に五條県を設置。奈良県のうち旧五條代官所の管轄区域、大和国南部の旧旗本領および河内国南部の旧幕府領・旗本領の一部を管轄。
4月27日(1870年5月27日) - 堺県のうち紀伊国内の旧高野山領を管轄。
5月19日(1870年6月17日) - 兵部省軍務官が管轄していた大和国吉野郡十津川郷を管轄。
明治4年11月22日(1872年1月2日) - 第1次府県統合により、管轄区域のうち大和国を奈良県、河内国を堺県、紀伊国を和歌山県がそれぞれ管轄。同日五條県廃止。
管轄地域
大和国
宇智郡 - 63村(五條代官所35村、旗本領32村)
吉野郡のうち - 239村(五條代官所224村、旗本領16村)
紀伊国
那賀郡のうち - 84村(高野山領)
伊都郡のうち - 74村(高野山領)
河内国
石川郡のうち - 31村(幕府領19村、旗本領12村)
錦部郡のうち - 11村(五條代官所1村、旗本領8村、寺社領2村)
歴代知事
明治3年2月27日(1870年3月28日) - 明治4年8月4日(1871年9月18日) : 知事・鷲尾隆聚(元公家)
明治4年8月4日(1871年9月18日) - 明治4年11月22日(1872年1月2日) : 知事・四条隆平(元公家)
脚注^ 服部敬, 「五条県の成立」, 花園大学文学部研究紀要, (32), 25-52 (2000年).
関連項目
代官
高野山
奈良県
堺県
和歌山県
奈良県の一部
(大和国南部の旧幕府領・旗本領)
堺県の一部
(河内国南部の旧幕府領・旗本領)堺県の一部
(紀伊国の旧高野山領)行政区の変遷
1869年 - 1871年次代
奈良県(大和国)
堺県(河内国)
和歌山県(紀伊国)
表
話
編
東北
若松県
桃生県 → 石巻県
福島県(現行とは別)
酒田県 → 山形県
九戸県 → 八戸県 → 三戸県
江刺県
登米県
白石県 → 角田県
白河県
胆沢県
盛岡県
関東
●神奈川県
岩鼻県
武蔵知県事
常陸知県事 → 若森県
安房上総知県事 → 宮谷県
下総知県事 → 葛飾県
大宮県 → 浦和県
品川県
小菅県
真岡知県事 → 日光県
北陸・甲信
柏崎県
伊那県
佐渡県
府中県
市川県
石和県
●甲府県
●新潟県(現行とは別) → 水原県
中野県 → 長野県
本保県
中部
笠松県
飛騨県 → 高山県
三河県
韮山県
近畿
大津県
久美浜県
○奈良県(現行とは別)
兵庫県
堺県
●度会県
摂津県 → 豊崎県
河内県
生野県
五條県
中国・四国
倉敷県
隠岐県 → 大森県 → 浜田県
九州
富岡県 → 天草県
日田県
富高県
●長崎県
関連事項
藩の一覧 - 版籍奉還 - 廃藩置県 - 府藩県三治制下の日本の人口統計 - 開拓使(箱館府の廃止後に設置) - 琉球藩
府県庁の置かれた地域を基準に分類している。●は府 → 県に、○は県 → 府 → 県に改称。太字は現存。