五山送り火
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大文字(如意ヶ岳)松ヶ崎妙法『妙』松ヶ崎妙法『法』船形万灯籠左大文字鳥居形松明送り火当日の大文字山(2012年)送り火当日の松ヶ崎妙法『妙』(2012年)送り火当日の松ヶ崎妙法『法』(2012年)送り火当日の舟形万灯籠(2012年)送り火当日の左大文字(2012年)

五山送り火(ござんのおくりび)(京都五山送り火とも言う)は、毎年8月16日京都府京都市左京区にある如意ヶ嶽(大文字山)などで行われるかがり火。宗教・歴史的な背景から「大文字の送り火」と呼ばれることがある。
概要

京都の名物行事・伝統行事。葵祭祇園祭時代祭とともに京都四大行事の一つとされる[1][2]

毎年8月16日に

「大文字」(京都市左京区浄土寺・如意ヶ嶽(大文字山)。20時00分点火)

「松ケ崎妙法」(京都市左京区松ヶ崎・西山及び東山。20時05分点火)

「船形万灯籠」(京都市北区西賀茂・船山。20時10分点火)

「左大文字」(京都市北区大北山・大文字山。20時15分点火)

「鳥居形松明」(京都市右京区嵯峨鳥居本・曼荼羅山。20時20分点火)

以上の五山で炎が上がり、お精霊(しょらい)さんと呼ばれる死者のあの世へ送り届けるとされる。

点火時間は1962年までまちまちだったが、1963年から観光業界からの要請により、大文字が20時ちょうどの点火となり、反時計回りに20時10分から松ヶ崎妙法、20時15分から船形万灯籠および左大文字、20時20分から鳥居形松明と固定化した。

2014年に51年ぶりに点火時間が変更され、松ケ崎妙法および船形万灯籠がそれぞれ5分点火時間が早まった。この変更により5山が5分おきに点火されていくことになる。[3][4]

なお、近年では「大文字」が最初に点火されているが、1956年頃までは「大文字」は最後に点火されていた、とする文献がある。これは大文字が五山の中でも横綱格であるから、という理由からであるという[5]

また、日本の太陽暦移行後は20時よりの点火となっているが、それ以前のいわゆる旧暦の時代は、1時間程度早かった、と言う説が2014年、在野の歴史研究者である青木博彦により打ち出された。これは本居宣長 1756年 『在京日記』などの資料を分析した結果であるという。詳しくは、如意ヶ嶽#送り火を参照。[6]
各山の解説

山名は鳥居形を除き国土地理院地形図の表記に従うが、他説も併記する。鳥居形の所在する山については、地形図に山名の記載がないため、京都市観光協会・大文字五山保存会連合会の挙げる呼称を併記する。また、如意ヶ嶽以外の四山(妙法・舟形・左大文字・鳥居形)は入山禁止である。
大文字春の大文字山 (2012年)大文字の火床の中心部、金尾(カナオ)詳細は「如意ヶ嶽」を参照

所在地:京都市左京区浄土寺七廻り町(じょうどじ ななまわりちょう)

山名:大文字山(だいもんじやま)。如意ヶ岳、如意ヶ嶽とも呼ばれていた。

火床:75か所

大きさ:一画80m(45間・19床)、二画160m(88間・29床)、三画120m(68間・27床)

保存会:浄土院の(元)檀家による世襲

もともとは一帯の山塊を「如意ヶ嶽」と呼んでいたが、現在は火床がある西側の前峰(465.4m)を「大文字山」と呼び、最高点である主峰(472m)を「如意ヶ嶽」と呼ぶ。特に「左大文字」と区別するときは「右大文字」・「右の大文字」ともいう。大の字の中央には大師堂と呼ばれる、弘法大師を祀った小さなお堂がある。

登り口は、送り火の時にも使われる銀閣寺の北側からのものが主ルート。

大文字山(如意ヶ嶽)の地元地域の人には、他山との違いと尊称の意味も含めて、古くから山そのものを「大文字さん」と呼ぶ人も多い。

火床は、古くは杭を立て松明を掲げたものであったが、1969年以降は細長い大谷石を二つ並べた火床の上に、井桁に薪を組むかたちとなっている[7][8]

第二次世界大戦太平洋戦争)中である1943年(昭和18年)には、灯火管制的見地から送り火が中止されたが、代わりに早朝に白いシャツを着た市民(地元の京都市立第三錦林小学校の児童ら)が山に登り、人文字で「大」を描き、英霊ラジオ体操を奉納した。翌1944年(昭和19年)にも錦林小学校、第二 - 第四錦林小学校児童がやはり人文字を描いている。1945年(昭和20年)も送り火は行なわれず、終戦の翌年、1946年(昭和21年)に再開された[9]

また、日清戦争戦勝時には「祝平和」の文字が灯されたほか、日露戦争にちなんで点火されたこともある。 大文字の火床から見た京都盆地
松ケ崎妙法妙。2012年春、北山通付近より。法。2014年春、高野橋より。法の火床および松ヶ崎の町並。2012年春。妙法に点火する涌泉寺。

所在地:(妙)京都市左京区松ケ崎西山、(法)京都市左京区松ケ崎東山

山名:(妙)西山(135m)、(法)東山(186m)。西山については万灯籠山、東山については大黒天山とも呼ばれる。二山合わせて妙法山とも呼ばれる。

火床:(妙)103か所、(法)63か所

大きさ:(妙)最大100m弱、(法)最大80m弱

保存会:涌泉寺の(元)檀家による世襲。

二山二字であるが、一山一字として扱われる。

涌泉寺の寺伝によると、徳治2年(1307年)、松ケ崎の村民が日蓮宗に改宗したとき、日像上人が西山に「妙」の字を書き、江戸時代、下鴨大明寺(下鴨大妙寺?[要出典]、妙泉寺(涌泉寺の昔の名)の末寺で現在は廃寺)の日良上人が東山に「法」の字を書いたという[10][11]

「妙」の字付近は、近くに京都市水道局松ヶ崎浄水場の配水池があるため、一般人は立ち入り禁止になっている[要出典][12]

「法」では家ごとに担当の火床が決まっているが、「妙」では火床の担当を町ごとに順繰りで交替する。うち2基は浄水場の職員が担当する[12]
船形万灯籠

所在地:京都市北区西賀茂船山
(にしがもふねやま)

山名:船山(ふなやま)。万灯籠山・西賀茂山とも呼ばれる。

火床:79か所

大きさ:縦約130m、横約200m

保存会:西方寺の(元)檀家による世襲。

船の形は、承和14年(847年)、唐からの帰路に暴風雨にあった、西方寺の開祖・慈覚大師円仁が「南無阿弥陀仏」と名号を唱えたところ無事到着できたという故事にちなむという。
左大文字左大文字。2012年春。

所在地:京都市北区大北山鏡石町(おおきたやまかがみいしちょう)

山名:大文字山[注 1]。区別のため左大文字山とも呼ばれることもある。標高約230メートル[13]

火床:53ヶ所

大きさ:一画48m、二画68m、三画59m

保存会:法音寺の(元)檀家による世襲。35世帯(1990年)[13]

1658年の『洛陽名所集』には記載が無く、1673-1681年の『山城四季物語』に記載があることから、この間の期間に始まったのではないかとみられている。成立について特に伝承や記録などは残っていない。この山は険しい岩山であり、かつては杭を立てた上にかがり火のかたちで送り火を行っていた。固定された火床もなく、かつては荒縄を張るなどして形を決めていたため、毎年形が変わっていたと言う。


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