ごみ かずお
五味 一男
生誕1956年8月10日
日本 長野県諏訪郡富士見町
出身校早稲田大学中退、日本大学藝術学部放送学科卒業
職業演出家
読売日本交響楽団評議員
作家
作詞家
漫画原作者
活動期間1979年 - 現在
雇用者日テレアックスオン執行役員・ジェネラルクリエイター
日本テレビ放送網(株)前上席執行役員・編成局および制作局エグゼクティブ・ディレクター・プロデューサー
著名な実績『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』『マジカル頭脳パワー!!』『投稿!特ホウ王国』『速報!歌の大辞テン』『週刊!ストーリーランド』『エンタの神様』『24時間テレビ』
影響を受けたもの市川準、スタンリー・キューブリック、秋元康、柳井正
親戚五味廣文(元金融庁長官)、畑中浩一(元パナソニック社長)
公式サイト ⇒http://www.attackers-school.com/lecturer/index.html
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五味 一男(ごみ かずお、1956年8月10日 - )は、演出家、プロデューサー、著作家、作詞家、漫画原作者。
公益財団法人読売日本交響楽団評議員。ほか肩書きは日テレアックスオン執行役員・ジェネラルクリエイター、日本テレビ放送網(株)前上席執行役員・編成局および制作局エグゼクティブ・ディレクター・プロデューサー。 血液型はO型。テレビの演出家、プロデューサーとして、かつて担当していた6番組のうち5番組の視聴率が20%超えて次々と大ヒット番組として話題に[1]。合計100%を越えることから「視聴率100%男」とも呼ばれた。また自身の著書のタイトルにもなっている「視聴率男」「生涯打率No.1」などと取材されるとき見出しで使われることが多い[1]。 五味が生み出したテレビ番組制作の発明は数々あり「『24時間テレビ 「愛は地球を救う」』の24時間マラソン導入、日本武道館のエンディングでZARD「負けないで」の感動ゴール演出」「フライングスタート」「芸人のネタの中に台詞テロップを多用」などあげられる[2]。その手法は講演会、著書、インタビュー内で度々「五味理論」として緻密な演出術を明かしている。ポリシーとして「視聴率は親切率」が信念にある[1]。 長野県諏訪郡富士見町出身。早稲田大学中退後、日本大学藝術学部放送学科卒業。早稲田大学に入学したものの映画界志望だったため、日本大学藝術学部に転学、卒業[2]。 1979年4月:東映入社。CM部に配属[2]。CM映画界で市川準に師事[2]。 1987年4月:日本テレビ放送網(株)に入局。営業局CM制作部に配属[2]。1988年2月:新しいクイズをつくるプロジェクトに加わるため芸能局に異動[2]。1993年:制作局チーフディレクター。1997年:編成局企画担当兼務。2001年:編成局企画部長就任。 2003年:編成局エグゼクティブディレクター就任。『エンタの神様』で現場復帰。
概要
略歴
人物・逸話
小学校入学前にIQ150以上と判定された[3]。
日本大学藝術学部では君塚良一、家田荘子らとともに映画製作集団で『虚飾の神話』『暗闇の剥製』などの前衛映画を作っていた[4]。
鈴木清順監督の『ツィゴイネルワイゼン』にもスタッフとして参加していた[5]。
映画監督・CM監督の市川準に師事しCMディレクターとして活躍していたが、1987年、4000倍の競争率の中、日本テレビにトップで合格[2]。その採用にかかった全額から「1億円の男」と呼ばれる[5]。
入社試験の時に「いまの日本テレビをどう思う?」と聞かれて「フジテレビにかなり遅れを取ってると思います」と答えた。フジテレビと同じことをすることではなく、フジテレビの華やかさを日テレ流にするため入社後、クイズ番組に興味はなかったが、社内で立ち上がったばかりの『日本テレビクイズプロジェクト』に参加。当時の日本テレビはクイズ番組でレギュラーのヒット番組が1本も無く、王東順が手がける『なるほど!ザ・ワールド』のスタジオから世界に展開する派手で華やかな部分を見習い、『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』を思いついた[6]。入社1年目にして“魔の不毛地帯”と呼ばれた水曜8時のテコ入れとして『クイズ世界はSHOW by ショーバイ!!』を手がけて成功[2][7]。
土曜日の8時の『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』(TBS)、『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』(フジテレビ)といった人気番組が並ぶ苦戦していた時間帯に90年代を代表するクイズ番組『マジカル頭脳パワー!!』を手掛ける。以後『投稿!特ホウ王国』、『速報!歌の大辞テン!!』『週刊!ストーリーランド』『エンタの神様』などを企画・演出しいずれも高視聴率の人気番組に育て上げた。