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風呂(ふろ)とは、温浴のためや、漆器に塗った漆(うるし)を乾燥させるために、専用の部屋や室(むろ)を蒸気などで満たした設備。 元々は衛生上の必要性や、宗教的観念から古くから水のある場所で水浴を行ってきたが、温泉を利用した寒冷を払拭するためや、一層の新陳代謝や老廃物
目次
1 歴史
1.1 日本の風呂
2 語源
3 種類
3.1 蒸し風呂
3.2 岩風呂
3.3 釜風呂
3.4 五右衛門風呂
3.4.1 ドラム缶風呂
3.5 木桶風呂(鉄砲風呂)
3.6 ガス風呂
3.7 FRP風呂
3.8 ユニットバス
3.9 噴流式泡風呂
3.10 水風呂
4 住宅の浴室
5 関連項目
6 脚注
7 参考文献
8 外部リンク
歴史
しかし、キリスト教の浸透にともない裸で同一の場所に集うことが忌避され、廃れていった。[2]ローマ帝国の領土を受け継いだヨーロッパの地では、13世紀頃までは、辺境の地であっても入浴習慣が普及していたが、教会に行くための清めとして、大きめの木桶に温水を入れて身を簡単にすすぐ行水の様なものだった。都心においては公衆浴場があり、住民は週に1・2度程度、温水浴や蒸し風呂を楽しんだといわれる。しかし、男女混浴であったため、みだらな行為や売春につながり、それにキリスト教の観念が加わり廃れていった[要出典]。それに拍車をかけるように、14世紀にはペストの流行により、公衆浴場はもちろんのこと入浴自体も「ペスト菌を積極的に体に取り込んでしまう」といった間違った解釈がなされ、風呂といった習慣自体が忌避され、地中海やヨーロッパから風呂文化が縮小していった。一方、かつてのローマ帝国領の東部に当たる中近東では入浴文化が受け継がれ、ハンマームと呼ばれる公衆浴場が住民の社交場としての役割を担っていた。紀元前2600年頃のインダス文明のモヘンジョダロや、ハラッパー等の都市大規模な公衆浴場が完備していた。古代インド十六大国のマガダ国の首都王舎城(現在のビハール州ラージギル)にあった仏教最初の寺院である竹林精舎の近くに、温泉がある仏教僧院(Tapodarama)があった。湯治を目的としていたと思われる。現在、跡地にはヒンドゥー寺院が建てられているが、温泉は今も健在である。
ヨーロッパでは医学の進歩に伴い、18世紀には「入浴が積極的に病原菌を体に取り込む」といった解釈が否定され、むしろ健康の上で好ましいと見なされるようになった。それに伴い遠隔であった入浴の習慣が積極的に行われるようになったが、温水に浸かる風呂ではなくシャワーとして温水を浴びる習慣が普及していった。現在の欧米でも浴槽のない風呂場もあり、温水の風呂に浸かるのは月に1・2度程度が一般的となっている。
日本の風呂 相国寺の浴室『宣明』(応永7年 (1400年) 頃の創建。