五千頭の龍が昇る聖天宮
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座標: .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度57分48.46秒 東経139度25分38.27秒 / 北緯35.9634611度 東経139.4272972度 / 35.9634611; 139.4272972本殿(左から)鼓楼、前殿、鐘楼天門

五千頭の龍が昇る聖天宮(ごせんとうのりゅうがのぼるせいてんきゅう)は、日本の埼玉県坂戸市にある、台湾道教。道教の最高神格とされる三柱の神、三清道祖をはじめとする道教の神々が祀られている。略称・通称は「聖天宮」[1]

聖天宮は台湾人個人の大病治癒の記念として、私財を投じて建立された。神託により、建立の地として台湾ではなく日本の坂戸市が選ばれたという。台湾から多くの装飾品や調度品、宮大工を手配し、建立に15年を費やし、1995年に開宮した。道教建築として日本最大級。

聖天宮は一般の見学や拝観を受け入れており、来訪者の多くは日本人の観光客であるという。約7,000坪ほどの広大な境内は、太極拳大会などの地域のさまざまな催しに利用されている。また、特色ある建築とゆとりある敷地はテレビ番組の各種ロケ撮影コスプレイヤーの撮影スポットなどとして人気を集めている。
歴史聖天宮竣成記念碑

聖天宮は、台湾人貿易商の康國典(こうこくてん)により、大病治癒の記念として建立された。聖天宮建立の由緒について、境内の案内には次のようにある[2]。聖天宮は「康國典大法師」が建立されました。大法師は若くして大病を患いましたが、「三清道祖」に祈願し、7年の闘病生活を経て病が完治されました。大法師は感謝の気持ちを抱き、他の多くの人にも「三清道祖」にすがれる様にお宮を建てることにした。建立地を探していたところ、坂戸のこの地にとお告げがありました。

聖天宮建立の経緯については、康の子息への複数紙の取材によると、次のようなものとされる。

台湾の板橋出身の康は、中国大陸とのビジネスで財を成した[3]。康は40代半ばに膵臓関係の大病にかかったが、三清道祖を祀る台北市の指南宮(中国語版)での願掛けにより、七年の闘病生活を経て完治したことから[4]、神へのお礼と、他の人も神の恩賜にあずかれるよう、宮を建てようと思ったという[3]。台湾ではご利益があった際には感謝の気持ちを示すため、廟(小規模な道教の施設)を建てる風習がある[3][5]

康は当初、台湾に宮を建てようとしていたが、日本の坂戸に建てなさいという神のお告げを授かった。お告げでは具体的に建立地の地名、聖天宮という名称、社殿の形や方角も告げられたというが、当時の康は坂戸には縁もゆかりもなかったという[3]。創建開始当時の坂戸の当地は、最寄りの若葉駅もなく、宮の前の公道もなく、雑木林と桑畑、農道があるだけであった。造営資金については、康が建て始めたのち、台湾人や日本人から協賛があったという[3]

聖天宮は宗教法人としては昭和55年(1980)に設立された[6]。社殿は昭和56年(1981)に着工し、15年の歳月を費やして、平成7年(1995)に開宮した[3]

現在、康國典法師は亡くなり、子息の康嘉文(こうかぶん)法師が聖天宮を管理している。また近年、聖天宮は施設の名称を「五千頭の龍が昇る聖天宮」へと改めた。
道教仙人香炉の台座の八卦陰陽

道教は、古代の中国の民間信仰に起源を持つ宗教であり、中華圏で信仰者の多い三つの宗教(三教仏教・道教・儒教)の一つ。道教の源流の一つには、神仙を信じ、仙人のような不老長生を希求する神仙思想がある。道教は不老長生を求める神仙術や、符?(おふだを用いた呪術)・斎?(神への祭祀)、仏教の影響を受けて作られた経典・儀礼など、時代の経過とともに様々な要素が積み重なった宗教とされる[7]

道教はその歴史の中で、周辺の文明にも大きな影響を与えた。一例として、道教は神仙思想に基づく、不老不死の霊薬の生成を目指す錬丹術の研究の中で、副産物として火薬を生み出したとされ、人類の文明に大きな影響を与えた。
道教と日本

道教の日本への伝来は、儒教・仏教が総合的な文化体系として日本に大きな影響を与えたのに比べると、組織的な形で流入したわけではなく、道教が体系的な構造をもって日本に定着したとはいえない[8]。しかし、思想面では道教の影響を多大に受けており、日本の人々の基本的な世界観の形成に関わってきたとされる[8]。道教を構成するさまざまな要素は日本に伝わっており、特に神仙術・養生思想(心身を整えて強壮・長生を目指す考え方)は早くから日本に流入していた[7]。聖天宮では道教の日本への影響の例として、奈良キトラ古墳に描かれた四神や、平安時代に盛んとなった陰陽道を挙げている[9]
現代の道教

現在、全世界に道教の信徒を自認する人は3000万人ほどおり、台湾や東南アジアの華僑華人の間で信仰されている。[10]中国本国においては宗教禁止政策などにより信徒が激減したが、近年徐々に復興している。西洋において道教は仏教・儒教ほど普及したわけではないが、華人の住む地区には道教信徒コミュニティが多く存在する[10]。日本国内における道教の祭祀施設は、歴史的に華僑が多い長崎市神奈川県横浜市などに見られるが、埼玉県では珍しい[11]。「道教」も参照
祭神.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}画像提供依頼
・ 「聖天宮」の銘が読み取れる天公炉の全体写真(聖天宮の三文字を収めるのは画角的に無理かも)

・ 押下した参拝記念のスタンプの写真

・ 本殿欄干にある、石製の鬼工球(多層球)のアップ写真

・ 客庁と回廊の境目の扉に描かれた、門神の絵の全体写真

・ 雪化粧をした聖天宮の写真

・ 野菜即売会、太極拳大会などのイベントの写真

・ 線香・金紙と、その説明書きの最近の写真の画像提供をお願いします。(2023年9月)

道教は典型的な多神教であり、無数ともいえる神々が神話に織り込まれている[12]。それら神々のうち、聖天宮では三清道祖、南斗星君、北斗星君、四聖大元帥を祀っている[13]
三清道祖壁画に描かれた三清道祖

聖天宮では主神として、道教における最高神格の三柱の神、三清道祖(元始天尊、道徳天尊、霊寶天尊)を祀っている[13]。三清は道教の世界において、強い信仰を集めている。

道教の宇宙観において、神仙が住まう世界は幾重にも積み重なる「天(中国語版)」であるとされ、元始天尊、道徳天尊、霊寶天尊はそれぞれ天の最も高い境地、「玉清境」「上清境」「太清境」に住まうとされることから、三柱を総称して「三清」[14]、また、三柱は道教における全ての始まりであることから「道祖」と称される。


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