五十里湖
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五十里ダム

左岸所在地栃木県日光市川治温泉川治
位置北緯36度54分11秒東経139度42分20秒
河川利根川水系男鹿川
ダム湖五十里湖
ダム諸元
ダム型式重力式コンクリートダム
堤高112.0 m
堤頂長261.8 m
堤体積468,000
流域面積271.2 km²
湛水面積310.0 ha
総貯水容量55,000,000 m³
有効貯水容量46,000,000 m³
利用目的洪水調節不特定利水発電
事業主体国土交通省関東地方整備局
電気事業者栃木県企業局
発電所名
(認可出力)川治第一発電所 (15,300kW)
施工業者鹿島建設
着手年/竣工年1941年/1956年
出典 ⇒『ダム便覧』 五十里ダム[1]
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五十里ダム(いかりダム)は栃木県日光市一級河川利根川水系男鹿川に建設されたダム

国土交通省関東地方整備局が管理する高さ112.0mの重力式コンクリートダムで、男鹿川及び合流先の鬼怒川、利根川の治水と栃木県営の水力発電を目的とし、同水系において最初に完成した多目的ダムである。ダムによって形成された人造湖は五十里湖(いかりこ)と命名され、日光国立公園に指定されている。目次

1 地理

2 沿革

3 目的

4 観光

5 過去に存在した湖

6 ギャラリー

7 脚注

8 関連項目

9 参考文献

10 外部リンク

地理

ダムが建設されている男鹿川は利根川水系の主要な河川・鬼怒川の支流である。栃木県・福島県境を水源として南へ流れ、途中海尻橋付近で右側より湯西川を合わせ、ダム地点を通過した後川治温泉付近で鬼怒川に注ぐ。ダムは男鹿川と鬼怒川の合流点からわずか1?2km上流の地点に建設された。なお合流部から西へ延びている鬼怒川のすぐ上流に川治ダムがあり、さらに上流に行くと川俣ダムがある。五十里・川治・川俣の三ダムに加え、五十里湖に注ぐ湯西川に現在建設されている湯西川ダムを一括して鬼怒川上流ダム群(詳細は#目的の項)が形成されている。

ダムが建設された当時の所在地は塩谷郡藤原町であったが、平成の大合併に伴って現在は日光市となっている。

ここを通る会津西街道には会津藩が関所を置いて宿場町ができており、江戸からちょうど五十(1里は約4.0kmであるので、約200km)にあることから「五十里関」「五十里宿」の名があった。「五十里ダム」の名はこれに因んでいる。
沿革

鬼怒川の洪水調節用ダム建設計画は1924年(大正13年)から始まり利根川水系でも歴史が深い。当初は上流の海尻(現・海尻橋付近)地点にダムを予定し1931年(昭和6年)より工事に着手したが掘削中に多数の断層を発見、建設を断念した。その後1935年(昭和10年)旧内務省は全国7河川1湖沼において河水統制事業を立案し、その中で鬼怒川も対象となり1941年(昭和16年)より海尻地点に高さ100m級のロックフィルダムを建設する計画に着手したが戦争により中断した。

戦後、建設省(現国土交通省関東地方整備局)発足後に再度建設地点の検討を行ったが海尻地点は予想以上に建設費が掛かる事から放棄され、より岩盤が堅固で安定した現在の五十里地点にダム建設を計画。利根川水系の大ダム第1号として型式も重力式コンクリートダムに変更して建設を進め、1956年(昭和31年)に完成した。

工事中には、1953年の台風第13号による豪雨のため男鹿川が氾濫、作業現場の工事用変電設備や機械修理工場、飯場10棟が倒壊・流出し、作業員200人が被災する災害にも直面した[1]
目的 五十里ダムの放流設備

利根川水系において最初の多目的ダムかつ100m級のダムであり、堤高は112.0mで完成当時は日本一の高さを誇るダムであった。洪水調節不特定利水発電が目的である。近年、洪水調節機能を更に高めるために、ダムを貯水したまま堤体に穴を開け放流トンネルを2本増設する工事が行われた。この際45年振りに掘り出されたコンクリートは、全く劣化していなかった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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