『お夏清十郎』(おなつ せいじゅうろう)は、寛文2年 (1662年) に播州姫路で実際に起きた駆落ち事件を題材にした一連の文芸作品の通称・総称。『お夏狂乱』(おなつ きょうらん)ともいう。
概要姫路市のお夏清十郎祭り
伝承による事件のあらましは次の通り。姫路城下本町の旅籠の大店・但馬屋の娘・お夏は、恋仲になった手代・清十郎と駆け落ちするが、すぐに捕らえられてしまう。清十郎はかどわかしに加え店金持ち逃げの濡れ衣まで着せられ打ち首となる。お夏は狂乱して行方をくらませ、誰も二度とその姿を見ることはなかったという。姫路市内の慶雲寺には二人の墓があり、毎年8月9日に「お夏清十郎慰霊祭」が執り行われている。
お夏と清十郎の悲劇は、事件後各地でさまざまな小唄や歌祭文に歌われて民間に浸透していった。そして早くも寛文年間には江戸中村座で歌舞伎舞踊『清十郎ぶし』が上演され、以後この事件を題材にとった作品が次々と書かれていった。そのなかでも貞享3年 (1686年) に井原西鶴が著した浮世草子『好色五人女』の第一章『姿姫路清十郎物語』(すがたひめじ せいじゅうろう ものがたり)と、それを宝永4年 (1707年) に近松門左衛門が脚色して世話物の人形浄瑠璃に仕立てあげた『五十年忌歌念仏』(ごじゅうねんき うたねんぶつ)は、登場人物の繊細な心情にまで迫った物語性の高い秀作で、これ以降に書かれたものは概ねこの2作を下敷きにしているといって差し支えない。お夏の出自を姫路の旅籠の大店の娘から米問屋の主人の妹という設定に変えたのもこの西鶴である。 作品形態作者成立配役備考
代表的作品
せいじゅうろう ぶし
『清十郎ぶし』歌舞伎舞踊(1662?72)
寛文年間江戸中村座 初演
すがたひめじ せいじゅうろう ものがたり
『姿姫路清十郎物語』浮世草子井原西鶴 著 (1686)
貞享3年『好色五人女』所収
たじまや おなつ せいじゅうろう
さんじゅうさんねんき
『但馬屋おなつ清十郎卅三年忌』歌舞伎 (1692)
元禄5年大坂浪江座
たじまや せいじゅうろう ごばんつづき
『但馬屋清十郎五番続』歌舞伎 (1701)
元禄14年江戸森田座 初演
ごじゅうねんき うたねんぶつ
『五十年忌歌念仏』人形浄瑠璃近松門左衛門 作 (1707)
宝永4年
いずみのくに うきなの ためいけ
『和泉国浮名溜池』人形浄瑠璃 (1731)
享保16年大坂豊竹座 初演
ごくさいしき むすめ おおぎ
『極彩色娘扇』人形浄瑠璃 (1760)
宝暦10年大坂竹本座 初演
こいずもう やわらぎ そが
『恋相撲和合曽我』歌舞伎 (1841)
天保12年初代岩井紫若 お夏
初代澤村訥升 清十郎江戸河原崎座 初演
よつの そで
『四つの袖』詩集島崎藤村 作 (1897)
明治30年『若菜集』所収
おなつ きょうらん
『お夏狂乱』新舞踊劇坪内逍遥 作・作詞
二代目常磐津文字兵衛 作曲
二代目藤間勘右衛門 振付 (1914)
大正3年六代目尾上梅幸 お夏東京帝国劇場 初演
おなつ せいじゅうろう
『お夏清十郎』戯曲真山青果 作 (1933)
昭和8年初代水谷八重子 お夏
たじまや おなつ
『但馬屋おなつ』小説藤原審爾 著
おなつ きょうらん
『お夏狂乱』オペラ関屋敏子 原案・作曲 (1933)
昭和8年関屋敏子 お夏パリ 初演
おなつ せいじゅうろう
※姫路の話と異なる水間の『お夏清十郎』映画犬塚稔 脚本・監督 (1936)
昭和11年田中絹代 お夏
林長二郎 清十郎松竹キネマ 製作 ※姫路の話と異なる
おなつ きょうらん
『お夏狂乱』歌謡曲秩父重剛