五人の剣道十段(ごにんのけんどうじゅうだん)は、全日本剣道連盟から剣道十段を授与された人物。史上5人しかいない。現在、九段・十段は廃止されている。 1917年(大正6年)、大日本武徳会が剣道に段位制を採用し、十段まで設けたが、実際は六段以上を授与せず、五段の上は精錬証(のち錬士)、教士、範士とされていた。 1937年(昭和12年)からは六段以上の段位も授与するようになった。 1946年(昭和21年)、GHQの命令で大日本武徳会が解散し、段位の授与機関が消滅した。 1952年(昭和27年)、全日本剣道連盟が結成され、大日本武徳会の段位制度を受け継いだ。 1957年(昭和32年)、全日本剣道連盟は初の十段を発行することを決定し、当時の剣道界の長老中山博道に授与を打診したが、中山は十段制度を拒絶した。次に小川金之助、持田盛二、中野宗助、斎村五郎の4名に打診した。持田、斎村らは、先人さえ貰わなかった段位は受け取れないとして固辞したが、受けなければ制度が崩れると説得され、渋々受領した。 1974年(昭和49年)2月、最後の十段保持者であった持田盛二と大麻勇次が相次いで死去し、十段の生存者がいなくなった。 2000年(平成12年)、全日本剣道連盟の段位審査規則改正により、九段・十段の審査は行わないこととされ、事実上廃止された。
小川金之助 1957年(昭和32年)授与
持田盛二 1957年(昭和32年)授与
中野宗助 1957年(昭和32年)授与
斎村五郎 1957年(昭和32年)授与
大麻勇次 1962年(昭和37年)授与
歴史
備考
乳井義博は1949年(昭和24年)に高野佐三郎から剣道十段を授与されている[1]。
脚注^ 『月刊剣道日本』2003年8月号27頁、スキージャーナル
参考文献
『財団法人全日本剣道連盟五十年史』、全日本剣道連盟
庄子宗光『剣道百年』、時事通信社
『時代をつなぐ剣の道 剣道殿堂顕彰者 その足跡と功績』(DVD)、全日本剣道連盟
『昭和の剣豪』(DVD)、クエスト
『剣聖と極意 日本剣道形』(DVD)、クエスト
関連項目
剣道の段級位制
紫綬褒章
剣道殿堂
昭和の剣聖
昭和天覧試合
剣道家一覧