凡例二階堂行通 / 藤原行道
時代南北朝時代
生誕不詳
死没観応2年/正平6年7月10日(1351年8月2日)
別名行通→行道(偏諱)→行宏(法名)、藤原行道
官位四郎左衛門尉、美濃守
幕府鎌倉幕府、室町幕府
氏族藤原南家乙麻呂流 二階堂氏
父母父:二階堂行朝
妻佐々木道誉の娘
子藤原行信(大谷志摩守)
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二階堂 行通(にかいどう ゆきみち)は、南北朝時代の武士。室町幕府政所執事代。 二階堂行朝の子。足利直義邸の弓場始において、中条秀長と座位を争い、敗れて出家した。法名は行宏。 観応2年/正平6年(1351年)に政所執事代に補任されたが、同年に没した。また、義父・義従伯父の佐々木道誉より「道」の字の偏諱を賜り「行道」と名乗る。道誉の正室は二階堂行綱の孫二階堂時綱の娘であり、父・行朝の義従兄弟にあたり、行通の正妻は佐々木道誉の娘である。父・行朝と数多の戦に従軍し美濃国池田郡の城を領して美濃守を賜る。家督は嫡男・行信(大谷志摩守)が継ぎ、尾張国丹羽郡大谷(大屋敷村)を領して、藤原南家乙麻呂流二階堂氏流大谷氏の祖となる[1]。
生涯
脚注
出典^ 二本松市史
出典
安田元久 編『鎌倉室町人名事典』 455頁 新人物往来社、1990年
『日本人名大辞典』 講談社、2001年
表
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