二階堂行泰
[Wikipedia|▼Menu]

 凡例二階堂行泰
時代鎌倉時代前期
生誕建暦元年(1211年
死没文永2年10月2日1265年11月11日
改名法名:行善
官位左衛門尉、従五位上、筑前守
幕府鎌倉幕府 引付衆 評定衆 政所執事
氏族藤原南家乙麻呂二階堂氏
父母父:二階堂行盛
兄弟行泰、二階堂行綱二階堂行忠
行頼行実、行佐、行重[1]
テンプレートを表示

二階堂 行泰(にかいどう ゆきやす)は、鎌倉時代前期の御家人鎌倉幕府政所執事
生涯

建暦元年(1211年)二階堂行盛の子として生まれる。嘉禎3年(1237年)民部丞となった[2]宝治元年(1247年)幕府の使者として京へ上り徳政令について奏上した[3]建長元年(1249年)引付方の設置とともに引付衆となり[4]、建長5年(1253年二階堂行方とともに引付頭人[5]に任じられた。また同年父行盛が亡くなり、政所執事[6]に任じられた。その後、正元元年(1259年評定衆となった[4]弘長2年(1262年)息子行頼に政所執事を譲るが[7]、翌年行頼が亡くなったため政所執事に復した[8]

文永2年(1265年)10月2日に死去した。享年55[2]。後任の政所執事は子の行実が継いだ[9]
経歴

嘉禎3年(1237年)1月24日 - 民部丞

寛元元年(1243年)6月12日 - 従五位上
[2]

寛元元年(1243年)11月2日 - 筑前守[2]

康元元年(1256年)11月 - 出家(法名:行善)[2]

文永2年(1265年)10月2日 - 卒。享年55

脚注^ 「尊脾文脈」、『史料総覧』5編905冊81頁
^ a b c d e 「関東評定伝」、『史料総覧』5編905冊111頁
^ 「葉黄記」「吾妻鏡」、『大日本史料』5編22冊293頁
^ a b 「日本人名大辞典」
^ 「吾妻鏡」『史料総覧』5編904冊799頁
^ 「関東評定伝」、『史料総覧』5編904冊799頁
^ 「関東評定伝」、『史料総覧』5編905冊73頁
^ 「武家年代記」、『史料総覧』5編905冊81頁
^ 「関東評定伝」、『史料総覧』5編905冊159頁

関連資料

東京大学史料編纂所 大日本史料総合データベース『史料総覧』










鎌倉幕府政所執事


二階堂行光-1219

伊賀光宗1219-1224

二階堂行盛1224-1253

二階堂行泰1253-1262

二階堂行頼1262-1263

二階堂行泰1263-1265

二階堂行実1265-1269

二階堂行綱1269-1281

二階堂頼綱1281-1283

二階堂行忠1283-1290

二階堂行貞1290-1293

二階堂行藤1293-1302

二階堂行貞1302-1329

二階堂貞衡1329-1332

二階堂貞藤1332-1333


記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:9243 Bytes
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef