二葉かほる
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ふたば かほる(読みはかおる)
二葉 かほる
本名鈴木 ふく
別名義双葉 かほる
生年月日 (1871-10-07)
1871年10月7日
没年月日 (1948-01-22) 1948年1月22日(76歳没)
出生地 日本東京府東京市神田区(現在の東京都千代田区
職業女優
ジャンル映画
主な作品
『からくり娘』 / 『落第はしたけれど
有りがたうさん』 / 『
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二葉 かほる(ふたば かおる、1871年10月7日 - 1948年1月22日)は、日本女優。本名は鈴木 ふく。

新派や芸者を経て松竹蒲田撮影所に入社し、数多くの映画に出演。栗島すみ子五月信子諸口十九ら蒲田のスター俳優の母親役や祖母役を多く演じ、老け役として活躍した。その後はフリーを経て大映専属となった。主な出演作品に『カラボタン』『』『無法松の一生』など。
来歴・人物

1871年(明治4年)10月7日東京府東京市神田区五軒町花屋敷(現在の東京都千代田区)に生まれる[1]。父の鈴木信之は象牙彫刻家であり、その関係から同じ象牙彫刻家の吉田宗斎と結婚するが、離婚して24歳の時に大阪の舞台に立ったあと各地を巡業する[1]。一時、宇都宮で芸者になったこともある。1916年(大正5年)、新派中野信近一座に加わって連鎖劇に出演する。その後、日活向島撮影所の女優募集に応じ、何本かの活動写真に出演した[1]

1923年(大正12年)、52歳で松竹蒲田撮影所に入社[2]島津保次郎監督『人肉の市』などに母親役で出演する。二葉の庶民的な母親像には独特の味わいと親しみがあり、鈴木歌子中川芳江葛城文子、米津左喜子らとともに母親女優として活躍した[3]。同年9月1日に発生した関東大震災により下加茂で撮った『山中小唄』では梅村蓉子の母、蒲田へ戻ってからの『二人の母』では三村千代子演じる孫娘を母がわりに育てる祖母を演じ、1925年(大正14年)には飯田蝶子小林十九二らとともに準幹部に昇進する[4]。以後、蔦見丈夫監督『女難』の岩田祐吉の叔母、池田義信監督『恋妻』の栗島すみ子の母、牛原虚彦監督『征服者』の川田芳子の母、『受難華』の筑波雪子の母など、それぞれニュアンスの違った母を演じ分け、その一方で、大久保忠素監督の『二人の孤児』で悪婆、野村芳亭監督の『カラボタン』などで老妓を演じ、小津安二郎監督の『落第はしたけれど』では下宿のおかみさんを演じたりした[3]。時代劇にも多く出演し、野村監督『女殺油地獄』で諸口十九演じる主人公の母を演じたほか『黒駒の勝蔵』などに助演した。

1940年(昭和15年)、松竹を退いてフリーとなり、東宝の『』(山本嘉次郎監督)では高峰秀子演じるヒロインの祖母役を好演、日活の『宮本武蔵 一乗寺決闘』では妙秀尼を演じた。1942年(昭和17年)、大映京都撮影所に入社し、稲垣浩監督の『無法松の一生』で茶店の婆や役で出演。戦後も引き続き大映京都に在籍して、稲垣監督の『おかぐら兄弟』で茶店の老婆、松竹の『東京特急四列車』で霧立のぼるの母を演じ、東横映画の『金色夜叉』に出演中の1948年(昭和23年)1月2日、撮影所に顔を出して間もなく気分が悪くなり、診察を受けに行った病院で脳溢血で倒れ、駆けつけた家人に「私の役はもうすんだはずだが、もし迷感をかけるようなら申しわけがない。それが気がかりだ」と言った後に昏睡状態となり、20日後の1月22日に死去[3]。77歳没。
出演作品
映画

人肉の市(1923年、
松竹キネマ) - 母

天を仰いで(1923年、松竹キネマ)

山中小唄(1923年、松竹キネマ)

南の漁村(1923年、松竹キネマ)

焔の行方(1923年、松竹キネマ)

愚者なればこそ(1924年、松竹キネマ)

嘘(1924年、松竹キネマ)

踊りの夜(1924年、松竹キネマ)

女殺油地獄(1924年、松竹キネマ)


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