二条駅
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近鉄大阪線の「二上駅」とは異なります。

二条駅
JR駅西口(2019年2月)
にじょう
Nij? / Nijo


所在地京都市中京区西ノ京栂尾町
所属事業者西日本旅客鉄道(JR西日本・駅詳細
京都市交通局京都市営地下鉄駅詳細
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二条駅(にじょうえき)は、京都府京都市中京区西ノ京栂尾町にある、西日本旅客鉄道(JR西日本)・京都市営地下鉄である。JR西日本の駅番号はJR-E04、京都市営地下鉄の駅番号はT15。
概要

JR西日本の山陰本線(「嵯峨野線」の愛称区間に含まれている)、京都市交通局の京都市営地下鉄東西線の2路線が乗り入れ、接続駅となっている。地下鉄の駅には「T15」、JRの駅には「JR-E04」の駅番号が与えられている。

JR西日本の駅は、特急列車を含む全列車が停車する。また、特定都区市内制度における「京都市内」エリアに属する。

JR西日本の駅ではICOCAの、地下鉄の駅ではPiTaPaと「スルッとKANSAI」対応各種カード、「トラフィカ京カード」の利用エリアにそれぞれ含まれている[1]
歴史初代駅舎(1988年)
JR西日本

1897年明治30年)

2月15日京都鉄道の当駅 - 嵯峨駅(現・嵯峨嵐山駅)間の開通と同時に開業する[2]

4月27日:京都鉄道の大宮駅 - 当駅間が開通する。


1902年(明治35年)

2月10日京都電気鉄道城南線(起点は堀川押小路停留場)が開業し、二条駅前停留場が設置される。


1904年(明治37年)6月:京都鉄道本社屋を兼ねた駅舎が完成する。

1907年(明治40年)8月1日:京都鉄道が国有化される[2]

1909年(明治42年)10月12日線路名称が制定され、京都線の所属となる。

1912年(明治45年)

3月1日:線路名称が改定され、京都線が山陰本線に編入されるとともに当駅もその所属となる。

5月30日:京都電気鉄道の乗り入れ路線が城南線から御池線(起点は堀川御池)に変更される(城南線は廃止)。

6月11日京都市電千本線壬生車庫前 - 千本丸太町間開業に伴い、同線の二条駅前停留場を設置。


1918年(大正7年)7月1日:京都電気鉄道が京都市に買収され、御池線は京都市電の路線となる。

1919年(大正8年)1月18日:京都市電御池線が廃止される。

1968年(昭和43年)10月6日福井県兵庫県を行幸啓した昭和天皇香淳皇后が帰途、大宮御所へ向かうためにお召し列車を下車[3]

1972年昭和47年)1月23日:京都市電千本線の廃止に伴い、二条駅前停留所廃止。

1982年(昭和57年)11月15日車扱貨物の取り扱いを廃止[2]

1986年(昭和61年)11月1日荷物の扱い廃止[2]

1987年(昭和62年)4月1日国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)・日本貨物鉄道(JR貨物)の駅となる[2]

1990年平成2年)10月30日:高架化事業に伴い、曳家により駅舎が15メートル東側に移動される(10月29日・30日の2日間で作業)[4]

1996年(平成8年)3月16日:高架駅となる[5]。同時に貨物列車の設定が廃止となる[2]。木造駅舎は後に梅小路蒸気機関車館(現京都鉄道博物館)に移設された。
かつては駅西側には小規模ながら貨物ヤードが存在しており、駅の南側は引込み線として貨車が留置されていたほか、ここから南方へ三条通を越えて日本食糧倉庫や油槽所へ専用線が続いていた。

1998年(平成10年)9月16日自動改札機を設置し、供用開始[6]

2000年(平成12年)9月23日:当駅 - 花園駅間が複線化される。

2003年(平成15年)11月1日:ICカードICOCA」の利用が可能となる。

2006年(平成18年)4月1日:JR貨物が貨物の取り扱いを廃止する[7]

2010年(平成22年)1月31日丹波口駅 - 当駅間が複線化されるとともに、交換設備を廃止する。

2018年(平成30年)3月17日駅ナンバリングが導入され、使用を開始。

京都市営地下鉄

1997年(平成9年)10月12日:【地】京都市営地下鉄東西線の二条駅が開業[8]。当時は終着駅であった。

2007年(平成19年)4月1日:ICカード「PiTaPa」の利用が可能となる。

2008年(平成20年)1月16日:京都市営地下鉄東西線が当駅から太秦天神川駅まで延伸され、途中駅になる[8]

2022年令和4年)11月1日:改札口を無人化[9]

JR木造駅舎の歴史と移転の経緯木造駅舎は移築され、梅小路蒸気機関車館の資料展示館として活用されている(現在は京都鉄道博物館のミュージアムショップ)駅舎新築時の新聞。2月15日竣工の予定とある。(大阪朝日新聞京都付録1904年2月11日)

JR駅の地上駅時代にあった木造駅舎は、荘厳な社寺を彷彿とさせる造りや貴賓室も設置された立派な駅舎として全国的に知られていた。

建築当時は京都鉄道本社を兼ねており、建築家の伊東忠太によって手掛けられたものである。京都鉄道社長田中源太郎によれば、当初はレンガ造りの計画だったが、二条城に近いので景観に配慮して和風建築に改めることにし、日本鉄道東北本線・栃木県)宇都宮駅(2代目)の駅舎が優美であったため同社に問い合わせを行い模範としたという[10]

1990年10月に、二条駅 - 花園駅間の高架化事業に伴う仮線の設置に支障があるため、木造駅舎の建物を東側に15メートル移動させる曳家工事が行われ、約300トンの建物を2日間かけて移動させた。


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