二条為道
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二条 為道(にじょう ためみち、文永8年(1271年)?正安元年5月5日1299年6月4日))は、鎌倉時代後期の公家歌人二条為世の長男。母は賀茂氏久の娘。子に二条為親・為定藤子。「為通」とも表記される。
略歴

正四位下左近衛権中将まで昇進し、二条流御子左家歌道の嫡流として将来を期待されたが、正安元年5月5日(一説には2日)に29歳の若さで急逝した。

新後撰和歌集』などの勅撰和歌集に合計69首が採録されている。また、『宴曲抄』に所収されている「名取河恋」の作者に比定する説がある[1]

娘の藤子(大納言局・中宮宣旨)は後醍醐天皇の寵愛を受けて懐良親王を生んだ。
系譜

父:
二条為世(1250-1338)

母:賀茂氏久の娘

正室:飛鳥井経子 - 飛鳥井雅有

男子:二条為定(1293?-1360)

女子:二条藤子?(?-1351) - 後醍醐天皇側室


生母不明の子女

男子:二条為親

男子:良聖(延暦寺。僧正。法印。号猪熊)

女子:三条公秀室

女子:二条関白女房、大納言局

女子:土御門雅長室 - 土御門顕実母


脚注^ 『国書人名辞典 3』P566.

参考文献

市古貞次『国書人名辞典 3』岩波書店、1996年。P566.










御子左家当主


長家

忠家

俊忠

俊成

定家

為家

為氏

為世

(為道)

為定

為遠

為衡 | 断絶


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