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二本柳壮
基本情報
国籍 日本
出身地茨城県
生年月日 (1981-03-02) 1981年3月2日(43歳)
身長166.5cm(2018年)
体重50.0kg(〃)
血液型O型
騎手情報
所属団体日本中央競馬会(JRA)
所属厩舎美浦・鈴木康弘(1999.3.1 - 2007.12.31)
美浦・フリー(2008.1.1 - 2018.3.31)
初免許年1999年3月1日
免許区分平地[1]
騎手引退日2018年3月31日
重賞勝利1勝[2]
通算勝利5604戦252勝(中央)[2]
60戦3勝(地方)
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二本柳 壮(にほんやなぎ そう、1981年3月2日 - )は茨城県出身の元騎手・現調教助手。
父は元調教師の二本柳俊一[3]。父方の祖父が二本柳俊夫で、母方の祖父が野平祐二という競馬の家系に生まれる[4]。 前述の家系から「壮がサラブレッドでセリに出たら3億円はするな」と皆に言われるほど、競馬界では超の付く名門の血筋を引く[4]。二本柳の両親が結婚する際、仲人を務めたのは野平に師事していた[5]大橋巨泉で、結婚式は野平の長女である母の希望もあり、カナダ・バンクーバーで挙げた[6]。巨泉は幼少の頃の二本柳を「ソンソン」と呼んでいたが、後に自身の著書で「壮君のさっそうとした騎乗ぶりを見るたびに、女房とあの結婚式の話になる。」と綴っている[6]。 1999年3月に美浦・鈴木康弘厩舎からデビューし、同期には北村宏司・高田潤・武英智らがいる。1年目の1999年は同6日の中山第1競走4歳未勝利・シャインセンター(15頭中13着)で初騎乗を果たし、21日には重賞初騎乗のスプリングステークス・フライングキッドで16頭中15番人気ながらオースミブライト・ロサードを抑えて5着に入ると、4月11日の中山第2競走4歳未勝利に10番人気アートフューチャーで初勝利を挙げる。5月15日の新潟では初の1日2勝、翌16日には新潟第9競走こけもも賞・ナスケンリーダーで特別戦初勝利をマークし、同時に初の2日連続勝利も記録。初年度は同期では北村の37勝に次ぐ23勝を挙げ、同年から2005年まで7年連続2桁勝利を記録。 2年目の2000年には勝利数を33勝と伸ばし、同年から2002年まで3年連続30勝台を記録。エイダイクインではクイーンステークスで逃げるトゥザヴィクトリーにクビ差迫ると同時にサンデーピクニック・プリエミネンス・ブゼンキャンドル・レッドチリペッパーを抑えて2着、GI初騎乗となったエリザベス女王杯では4コーナー最後方からファレノプシス・フサイチエアデールの3着に追い込む。
来歴