にのみや せいじゅん
二宮 清純
生誕 (1960-02-25) 1960年2月25日(64歳)
愛媛県八幡浜市[1]
国籍 日本
教育修士(学術)
職業評論家・スポーツジャーナリスト
株式会社スポーツコミュニケーションズ代表取締役
広島大学特別招聘教授
大正大学地域構想研究所客員教授
認定NPO法人健康都市活動支援機構理事
公式サイトhttps://www.ninomiyasports.com
二宮 清純(にのみや せいじゅん、1960年2月25日 - )は、日本の評論家・スポーツジャーナリスト。
愛媛県八幡浜市出身。2000年よりスポーツの情報やコラムを配信し、講演やシンポジウムも手掛ける事業会社、株式会社スポーツコミュニケーションズ代表取締役。明治大学大学院博士前期課程修了・学術修士、同後期課程単位取得。広島大学特別招聘教授[2]、大正大学地域構想研究所 客員教授[3]、認定NPO法人健康都市活動支援機構理事、伊予観光大使(いよかん大使)[4]なども務める。なお、「せいじゅん」はペンネームであり、本名は「きよすみ」と読む。 二宮の実家は10代以上続く農家で、屋号は「川宇」。河野屋宇兵衛という江戸時代の庄屋に端を発する。父方の従兄弟にデジタル庁審議官の二宮清治、母方の従兄弟に美術家の田窪恭治がいる。二宮は、典型的な巨人・大鵬・卵焼き世代で幼少の頃は巨人ファンだったが、瀬戸内海を挟んだ広島県から聴こえる中国放送(RCCラジオ)のラジオ野球中継を聴きくうちに、広島東洋カープファンとなった。愛媛県立八幡浜高等学校卒業後、上京し日本大学商学部在学中からスポーツ誌などに寄稿していた。スポーツ紙のプロレス担当記者や流通業界紙の記者を経て独立。その後、明治大学大学院に進み、博士前期課程修了・学術修士、同後期課程単位取得。フリーのスポーツジャーナリストとしてテレビ・ラジオ出演や新聞、雑誌への寄稿、講演活動
経歴
二宮の取材実績として、夏季オリンピックは1988年ソウル大会から2008年北京大会まで6大会連続で現地取材、2020年東京大会も取材。冬季オリンピックも1998年長野大会、2002年ソルトレイクシティ大会を現地取材、サッカーW杯も1990年イタリア大会から2006年ドイツ大会まで5大会連続で現地取材している。東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長の森喜朗は、二宮を「この人は辛口だけど、どちらかに偏らずきちんと取材をしてくれる。疑問点があれば地方からでも電話をよこす」と評している[6]。なお国際オリンピック委員会(IOC)、国際サッカー連盟(FIFA)の権威主義的体質、腐敗・汚職に対しては改革が必要との立場で、両組織の内幕に迫った「盗まれたワールドカップ」(デヴィッド・ヤロップ著、アーティストハウス、1999年)、「オリンピック秘史 120年の覇権と利権」(ジュールズ・ボイコフ著、早川書房、2018年)に解説文を寄せている。二宮の著作上の評価に関して歴史学者の加藤陽子は「ノンフィクション100選」にて、二宮が2000年に上梓した「最強のプロ野球論」を選出し、「野球の見方の技法を創造した本」と論じている。また作家の重松清は「スポーツを『読む』」(集英社新書、2004年)の中で、二宮が1999年に著した「Do or Die?スポーツは誰のもの!? 21世紀への提言」を取り上げ、「片方に故・山際淳司に代表される”青春の文学”があり、もう一方に二宮清純の”オトナの組織論”がある?―。」と評している。
ジャーナリストとして、オリンピック競技、パラリンピック競技、野球、サッカー、ラグビー、プロボクシング、大相撲、プロレス等を取材している。日本経済新聞、スポーツニッポン新聞、サンデー毎日、週刊現代、文藝春秋、週刊大衆、週刊アサヒ芸能、地域人、金融財政ビジネス、ビッグコミックオリジナル、漫画ゴラク、小説宝石、フィナンシャルジャパン、経済界、Number、第三文明などにて連載。
またテレビやラジオ番組の構成も手掛け、1996年には自らが企画した「野茂&ラモス 世界に翔くドリームトーク」(ニッポン放送)の構成でギャラクシーラジオ優秀賞受賞。野茂英雄は、自らのメジャーリーグ挑戦を支持した二宮について「多くのマスコミが、機構や球団にべったりになっている中、きちんと筋を通し、各メディアで野球協約の不備や日本球界の閉鎖性を鋭く指摘してくれました」と述べている[7]。ニッポン放送との縁は深く、2009年から2010年にかけて放送された『二宮清純のオールナイトニッポンサンデー』では脳科学者の茂木健一郎、作曲家の久石譲、ジャーナリストの池上彰と週替わりでパーソナリティーを担当し、「スポーツの魅力をディープに語り尽くす」をコンセプトに元横綱の輪島大士、野球評論家の中西太、劇画原作者の長崎尚志らをゲストに招いた。また2009年から2012年にかけて放送された、BS朝日のトーク形式のドキュメンタリー番組「勝負の瞬間(とき)」ではインタビュアーを務め、内川聖一、田臥勇太、野村克也、中澤佑二、宮崎大輔、白鵬、長谷川穂積、杉山愛、諸見里しのぶ、岩隈久志、清水宏保、吉田秀彦、武豊、青木宣親、新田佳浩、村上幸史、佐藤琢磨、川口能活、遠藤保仁、大畑大介、内山高志、前田健太、竹下佳江、工藤公康、井村久美子、西岡利晃、為末大、寺川綾、宮間あや、三宅宏実らをゲストに招き、後にインタビュー集は角川マーケティングより書籍化された。1996年に三池崇史が監督を務め、ケイエスエスが公開したオリジナルビデオシリーズ「大阪最強伝説 喧嘩の花道」の原作者でもある。
スポーツ解説者としては、1995年から1998年にかけてニッポン放送「ショウアップナイター」でメジャーリーグを担当。1996年11月3日、TBSで放送されたジョージ・フォアマンのボクシングWBU世界ヘビー級タイトル戦では、アントニオ猪木とともに解説を務めた。