二塚駅
駅舎(2020年6月)
ふたつか
Futatsuka
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二塚駅(ふたつかえき)は、富山県高岡市二塚にある西日本旅客鉄道(JR西日本)城端線の駅である。 単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、合計2面3線のホームを持ち列車交換が可能な地上駅である[27][28]。木造駅舎を有する。また、中越パルプ工業二塚工場への専用線が分岐している[27]。 当駅は北陸広域鉄道部の管理下にある[29]。かつては日本貨物鉄道(JR貨物)が駅業務を請負う業務委託駅であったが[27]、貨物取扱の休止に伴い、2015年(平成27年)10月1日より無人駅となった[25]。開業以来の木造駅舎が使用されており、構内には跨線橋が設置されている[30][27]。 ホーム路線方向行先 2017年4月1日までは日本貨物鉄道(JR貨物)の貨物駅でもあった。当駅における取扱貨物は、専用線発着コンテナ貨物であった[1]。
歴史
1899年(明治32年)4月3日:中越鉄道の高岡駅 - 戸出駅間に二塚駅(初代)が開業する[1][2]。
1902年(明治35年)
5月14日:中越鉄道が二塚及び高儀両停車場の廃止届出を行う[3][4]。
5月15日:二塚駅(初代)を廃止する[5][6]。
1914年(大正3年)2月20日:中越鉄道の二塚簡易停車場として再開業し、旅客の取扱を開始する[1][7][8]。なお、二塚は「ふたづか」と訓ずる[7]。
1917年(大正6年)4月1日:二塚簡易停車場を二塚停留場とする[1]。
1920年(大正9年)9月1日:中越鉄道の国有化により、鉄道省(国鉄)中越線に移管[9]。同時に駅に昇格して二塚駅(2代目)となり、旅客、手荷物及び附随小荷物に限り取扱を開始する[9]。高岡駅長の管理下に属した[10]。
1921年(大正10年)5月20日:営業範囲を改正し、一般小荷物の取扱を開始する[11]。
1926年(大正15年)9月1日:営業範囲を改正し、小口扱貨物の取扱を開始する[12]。
1933年(昭和8年)7月2日:営業範囲を改正し、貸切扱貨物の取扱を開始する[13]。
1937年(昭和12年)3月20日:高岡駅長管理を解除し、独立した駅長を置く[10]。
1942年(昭和17年)8月1日:中越線の高岡駅 - 城端駅間が城端線に改称され、当駅もその所属となる[14][15]。
1956年(昭和31年)11月19日:当駅 - 戸出駅間に林駅が開業する[16]。
1957年(昭和32年)2月:砺波製紙(現・中越パルプ工業)二塚工場が操業開始する[17]。この頃工場への専用線が竣工する[18]。
1969年(昭和44年)10月1日:営業範囲を改正し、手荷物及び小荷物の配達取扱を廃する[19]。
1970年(昭和45年)10月1日:営業範囲を改正し、旅客、手荷物、小荷物及び専用線発着車扱貨物を取扱う駅となる[20]。
1974年(昭和49年)10月1日:営業範囲を改正し、旅客、荷物及び専用線発着車扱貨物を取扱う駅となる[21]。
1984年(昭和59年)2月1日:営業範囲を改正し、荷物の取扱を廃止する[22]。
1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、西日本旅客鉄道(JR西日本)および日本貨物鉄道(JR貨物)の駅となる[1]。貨物は専用線発着車扱貨物を取扱う[1]。
1994年(平成6年)12月3日:営業範囲を改正し、専用線発着コンテナ貨物及び車扱貨物を取扱う駅となる[1]。
1996年(平成8年)3月16日:営業範囲を改正し、専用線発着車扱貨物の取扱を廃止する[1]。
2015年(平成27年)
3月14日:当駅 - 高岡駅間に新高岡駅が開業する[23]。また、当駅発着の貨物列車が臨時列車となる[24]。
9月30日:当駅接続専用線の運用を休止する[18]。
10月1日:貨物取扱の休止に伴い無人駅となる[25]。
2017年(平成29年)4月1日:JR貨物の駅が廃止され、貨物取扱が正式に終了[26]。
駅構造
のりば
駅舎側■城端線下り城端方面
反対側上り高岡方面
駅舎内部
ホーム
貨物取扱駅から工場へ向かう貨物列車(2009年8月)