二十四節気
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出典検索?: "二十四節気" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2018年7月)
二十四節気

立春

雨水

啓蟄

春分

清明

穀雨

立夏

小満

芒種

夏至

小暑

大暑

立秋

処暑

白露

秋分

寒露

霜降

立冬

小雪

大雪

冬至

小寒

大寒
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二十四節気(にじゅうしせっき)とは、中国戦国時代の頃(紀元前4世紀)に発明され、四季気候などの視点で地球上の一年を仕分ける方法。

太陰暦季節からのずれとは無関係に、季節を春夏秋冬の4等区分する暦のようなものとして考案された区分手法のひとつで、一年を12の「節気」(正節とも)と12の「中気」に分類し、それらに季節を表す名前がつけられている。1太陽年を日数(平気法)あるいは太陽黄道上の視位置(定気法)によって24等分し、その分割点を含む日に季節を表す名称を付したもの。

二十四気(にじゅうしき)ともいう。
概説
中国

重要な中気である夏至冬至の二至、春分秋分の二分は併せて二至二分(にしにぶん)と言い、重要な節気である立春立夏立秋立冬を四立(しりゅう)、二至二分と四立を併せて八節(はっせつ)という。太陰太陽暦では、暦と季節のずれを正すために用いられる。

例えば夏至はまだ梅雨の真っ只中にあり、はまだ鳴き始めていない。小暑では蒸し暑さは増すものの七夕を眺めるような晴れの空は期待できず、暑中ではあるのに地域によって梅雨寒となることもある。大暑は「最も暑い時候」と説明されるが、盛夏のピークは立秋の前後となる。

現代の中華人民共和国における「二十四節気」は、2016年10月31日ユネスコ無形文化遺産への登録されたほか[1]2022年2月4日(立春)におこなわれた北京オリンピックの開会式では、カウントダウンに用いられた。
日本

本来「二十四節気」というものは、中国の中原の気候をもとに名付けられており、日本で体感する気候とは季節感が合わない名称や時期がある。違いを大きくするものとして、日本では梅雨台風がある。

日本人はこのような事情を補足するため、二十四節気のほかに、土用八十八夜入梅半夏生二百十日などの「雑節」と呼ばれる季節の区分けを取り入れた。なお、二十四節気や雑節は、旧暦(太陰太陽暦)に追記されて発行されていた。

旧暦の日付は、年ごとに月がおよそ1朔日間(およそ29.5日)の範囲で誤差が生じるため、二十四節気の日付は毎年異なる。それでも四立や八節に加えて一年の中の季節を分ける目安としては十分であった。さらに各気各候に応じた自然の特徴が記述されるものとして、二十四節気をさらに約5日ずつに分けた七十二候という区分けもあり、二十四節気と併せて暦注などに記された(この七十二候も日本の風土に合わず、江戸時代渋川春海によって「本朝七十二候」に改訂されている)。これらは現在でも農事暦を楽しむ生活暦として使われ、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}新暦における日付とは異なるわずかな季節の変化、すなわち微妙な季節感を感じ取ることが出来る[要出典]。

日本は1873年明治6年)1月1日以降、太陽暦をもとにしたグレゴリオ暦(いわゆる新暦)を採用したため、二十四節気の日付は毎年ほぼ一定となった。
暦便覧

江戸時代の中期から後期の常陸国宍戸藩5代藩主である松平頼救が、著者となっている暦の解説書[2]
成立の背景

月の運行のみに基づく太陰暦では、月と日付が太陽の位置とは無関係に定まり、暦と四季の周期との間にずれが生じるので、農林水産等々の季節に左右される事象を扱うのに不便である。

閏月の挿入による調整を行う太陰太陽暦でも、閏月の前後で1か月の半分の15日程度のずれがある。そこで古代中国では、太陰暦とは無関係に季節を知る目安として、太陽の運行を元にした二十四節気が暦に徐々に導入された(後述)。なお現代中国では、旧暦の太陰暦のことを「農暦」と呼ぶことがあるが、前述のように太陰暦は季節からずれることから、農業のための暦ではない。

二十四節気はある時期に突然発明されたのではなく、段階的に整備されてきたものである。二至二分はノーモン日時計の一種)によって観察しやすいので、古くから認識されていたと考えられ、時代には日の最も短い冬至頃に年始が置かれていた。甲骨文字において月名は1、2、3といった序数で表されていたが、時折「十三月」(閏月)が用いられ、冬至から始まる年と月の運行に基づいた月とを調整していた。よって殷の暦法は太陰太陽暦であったが、高度な計算を用いたものではなく、自然を観察しつつ適宜ずれを修正するような素朴な暦法であった。なお二至二分の名称は、『尚書』堯典には夏至は「日永」、冬至は「日短」、春分は「日中」、秋分は「宵中」と書かれており、戦国時代末期の『呂氏春秋』では夏至は「日長至」、冬至は「日短至」、春分・秋分は「日夜分」と名付けられている。

二至二分の中間点に位置する四立に関しては『春秋左氏伝僖公5年(紀元前655年)の「分至啓閉」という語の「啓」が立春・立夏、「閉」が立秋・立冬と考えられており、『呂氏春秋』において「立春」「立夏」「立秋」「立冬」の語が使われていることから、戦国時代に一般化したと考えられる。

なお、古代中国人は、一年12か月をの四時に分け、正月(一月)・二月三月を春、四月五月六月を夏、七月八月九月を秋、十月十一月十二月を冬とした。周では冬至を基準に年始が置かれていたが、戦国時代になると冬至の翌々月を年始とする夏正夏暦)が各国で採用されるようになり、これにより冬至と春分の中間点が正月、すなわち春の最初の節気にあたるようになったことで「立春」と名付けられ、他の二至二分四立も春夏秋冬の名が冠せられるようになったと考えられる。


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