二冠馬
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二冠馬(にかんば)とは、競馬におけるクラシック競走三冠競走)のうち、2競走に優勝した競走馬のことである。
概要中央競馬のクラシック三冠については中央競馬クラシック三冠を、イギリスのクラシック三冠についてはイギリスクラシック三冠を、アメリカのクラシック三冠についてはアメリカクラシック三冠を参照

表の可読性を考慮し、以下では一部の競走名を略している。また三冠馬はのぞく。
中央競馬の二冠馬

皐月賞・東京優駿・菊花賞のうち、2競走を優勝した競走馬とする。

達成年馬名性皐月賞東京優駿菊花賞騎手管理調教師備考
1943年クリフジ牝不出走1着[1]1着前田長吉尾形景造優駿牝馬1着(変則三冠を無敗で達成)[2]
1949年トサミドリ牡1着7着1着浅野武志望月与一郎三冠馬セントライト半弟
1950年クモノハナ牡1着1着2着橋本輝雄鈴木勝太郎
1951年トキノミノル牡1着[3]1着[4]不出走岩下密政田中和一郎旧名パーフエクト
無敗の二冠馬、破傷風により菊花賞施行前に死亡[5]
1952年クリノハナ牡1着1着不出走八木沢勝美尾形藤吉故障により菊花賞を断念
1953年ボストニアン牡1着1着2着蛯名武五郎
佐藤勇増本勇菊花賞のみ佐藤が騎乗
1954年ダイナナホウシユウ牡1着4着1着上田三千夫上田武司旧名タマサン[6]
1960年コダマ牡1着1着[7]5着渡辺正人
栗田勝武田文吾無敗の二冠馬
皐月賞のみ渡辺が騎乗。乗り替わり有りでは初の二冠達成[8]
1963年メイズイ牡1着[9]1着[10]6着森安重勝尾形藤吉[11]菊花賞の支持率83.2%はクラシック最高値[12]
1970年タニノムーティエ牡1着1着11着安田伊佐夫島崎宏
1971年ヒカルイマイ牡1着1着不出走田島良保谷八郎屈腱炎で菊花賞を断念
1973年タケホープ牡不出走1着[13]1着嶋田功
武邦彦稲葉幸夫トライアルで敗れ皐月賞を断念
菊花賞は武邦彦が騎乗。2023年現在最後となる、乗り替わり有りでの二冠達成[14]
1974年キタノカチドキ牡1着[15]3着1着武邦彦服部正利[16]
1975年カブラヤオー牡1着1着不出走菅原泰夫茂木為二郎屈腱炎で菊花賞を断念[17]
1981年カツトップエース牡1着1着不出走大崎昭一菊池一雄脚部不安で菊花賞を断念
1985年ミホシンザン牡1着不出走1着柴田政人田中朋次郎三冠馬シンザンの子[18]
骨折で東京優駿を断念
1987年サクラスターオー牡1着不出走1着東信二平井雄二皐月賞の詳細は当該記事を参照、繋靭帯炎で東京優駿を断念[19]
1991年トウカイテイオー牡1着1着不出走安田隆行松元省一三冠馬シンボリルドルフの子
無敗の二冠馬[20]、骨折で菊花賞を断念[21]
1992年ミホノブルボン牡1着1着2着小島貞博戸山為夫無敗の二冠馬[22][23]、東京優駿の詳細は当該記事を参照[24]
1997年サニーブライアン牡1着1着不出走大西直宏中尾銑治骨折で菊花賞を断念
1998年セイウンスカイ牡1着4着1着[25]横山典弘保田一隆最優秀3歳牡馬を獲れなかった唯一の二冠馬[26]
2000年エアシャカール牡1着2着1着武豊森秀行二冠馬サンデーサイレンスの子
東京優駿はハナ差で2着
2003年ネオユニヴァース牡1着1着3着M.デムーロ瀬戸口勉米二冠馬サンデーサイレンスの子
初の外国人騎手による達成
2006年メイショウサムソン牡1着1着4着石橋守瀬戸口勉東京優駿の詳細は当該記事を参照
2012年ゴールドシップ牡1着5着1着内田博幸須貝尚介二冠馬で唯一、3歳時に古馬GI(有馬記念)制覇
2015年ドゥラメンテ牡1着1着[27]不出走M.デムーロ堀宣行変則二冠馬キングカメハメハの子。
東京優駿の詳細は当該記事を参照、骨折で菊花賞を断念

牡馬変則二冠

牡馬クラシックは皐月賞、東京優駿、菊花賞の3つだが、2004年キングカメハメハNHKマイルカップと東京優駿に優勝[28]してからは、「NHKマイルカップと東京優駿」の二冠を制した馬はクラシック二冠とは別に「変則二冠」と表現されるようになった。キングカメハメハの他には2008年にもディープスカイが同じくNHKマイルカップと東京優駿の変則二冠を達成している。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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