二代目コロムビア・ローズ
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コロムビア・ローズ(アルファベット表記:Columbia Rose)は日本コロムビアの女性歌手で、2009年現在で3人存在する。
目次

1 初代コロムビア・ローズ

1.1 主なディスコグラフィー

1.2 NHK紅白歌合戦出場歴

1.3 主なテレビ出演


2 二代目コロムビア・ローズ

2.1 代表曲

2.2 NHK紅白歌合戦出場歴

2.3 主なテレビ出演

2.4 その他の出演


3 三代目コロムビア・ローズ 野村未奈

3.1 代表曲


4 脚注

初代コロムビア・ローズ

本名は松本光世(旧名:斉藤まつ枝、1933年1月9日 - )、群馬県桐生市生まれ。

そもそもは戦前にデビューした松原操が東京音楽学校(現:東京芸術大学)に在学中だったことから、素顔を出さない覆面歌手の「ミス・コロムビア」として活躍し成功した例を参考に、「戦後初の覆面歌手」として会社の宣伝戦略から計画された。

1951年、「第2回日本コロムビア全国歌謡コンクール」で優勝、日本コロムビアに入社。芸名の「コロムビア・ローズ」は会社名と、第2次世界大戦中、日本軍による連合国向けプロパガンダ放送を担い、米軍将兵から「東京ローズ」と呼ばれた女性アナウンサーをヒントに名付けられた。

1952年、「娘十九はまだ純情よ」でデビュー。「どうせ拾った恋だもの」や「東京のバスガール」など数々のヒット曲を生み、1960年には紺綬褒章を受章。ステージ、映画、テレビ、ラジオと幅広く活躍するが、1961年に突如引退する[1]。その後、1964年、日本コロムビア社員の松本巌と結婚(2004年に死別)、二人の娘に恵まれる(長女は舞台女優、次女はダンス指導者となっている)。昭和40年代の懐メロブームを機に歌手活動を再開、その後もステージ活動とともに、カラオケ教室の歌唱指導や歌謡コンクールの審査員、作曲家活動[2]など、マイペースで活動している。

NHK紅白歌合戦に5回連続出場している(詳細は下記参照)。

2005年、一般財団法人・古賀政男音楽文化振興財団より日本大衆音楽の発展に貢献した功績を顕彰され、「大衆音楽の殿堂」入り[3]

2012年に歌手デビューから60年を迎えた。5月22日放映のNHK歌謡コンサートに出演し、紺の制服のバスガール姿で「東京のバスガール」を披露し、その間奏では東京タワーと東京スカイツリーを紹介するというバスガイドを行った。

2013年11月15日放送の「爆報! THE フライデー」(TBS)にVTR出演した。80歳で車を乗り回し、遠方の歌謡教室まで自ら運転して教えに行っている。また、車庫入れがかなり上手で、リポーターとして自宅に行き、彼女の愛車に同乗して自宅の車庫へ車を車庫入れするのを見た杉村太蔵も驚いていた。また、2015年7月17日放送の同番組では後輩のこまどり姉妹鎌倉で葉山牛を堪能している模様が放送された。

2013年11月22日ゆうぽうとで開催された「日本歌手協会創立50周年記念 歌謡フェスティバル」に出演。
主なディスコグラフィー

太字は代表曲

「娘十九はまだ純情よ」(1952年4月)

「リンゴの花は咲いたけど」(1952年10月)

「あなたの手紙」(1952年10月)

「乙女の青空」(1952年12月)

「雨の港の連絡船」(1953年1月)

「君を愛すと」(1953年3月)

「紅いベレー」(1953年4月)

「恋の渡り鳥」(1953年6月)

「君偲ぶ月影」(1953年7月)

「キャバレーの薔薇」(1953年8月)

「花と乙女」(1954年1月)

「恋の花かんざし」(1954年1月)

「からたちの花は咲いたけど」(1954年1月)

「君ゆえに」(1954年4月) with
霧島昇

「こんな気持ちが恋かしら」(1954年6月)

「伊香保小唄」(1954年7月)

「哀愁日記」(1954年9月)

「鳩笛乙女」(1954年9月)

「赤い夕日の丘越えて」(1954年11月)

「雨の足音」(1954年12月)

「渡り鳥いつ帰る」(1955年2月)

「夜霧のガス灯」(1955年2月)

「青い鳥のエレジー」(1955年7月)

「かりそめの唇」(1955年8月)

「愛しきはあの人」(1955年8月)

「お春恋しや」(1956年1月)

「花ふたたび」(1956年2月)

「あの夜の夢が消えたなら」(1956年2月)

「御無事でね」(1956年6月)

「娘艶歌師」(1956年8月)

「しあわせはどこに」(1956年8月)

「好きで別れて」(1956年10月)

「どうせ拾った恋だもの」(1956年11月)[4]

「こころの小雨(心の小雨)」(1956年11月)

「哀愁のビギン」(1956年12月)

「愛しているのに」(1957年2月)

「花の都に憧れて」(1957年3月)

「花は嘆かず」(1957年4月)

「逢びきの街」(1957年4月)

「おもかげは遥かなり」(1957年7月)

「湖畔の夜」(1957年7月)

東京のバスガール」(1957年10月)

「プリンセス・ワルツ」(1957年11月)

「花くれないに」(1957年12月)

「恋のブルース」(1957年12月)

「恋は炎か」(1957年12月)

「こぼれ陽の町」(1957年12月)

「花のうず潮」(1958年4月)

「花の慕情」(1958年5月)

「恋は火のようなものなのね」(1958年7月)

「悲しみよグッドバイ」(1958年8月)

「東京の女王蜂」(1959年2月)

「こころの太陽」(1959年3月)

「銀座地階の女」(1959年4月)

「いとし我子」(1959年4月)

「雨が降る街角」(1959年6月)

「恋の彼岸花」(1959年6月)

「ロマンス・ガイド」(1959年10月)

「熱海ワルツ」(1959年11月)

「希望の鐘」(1959年12月)

「河口湖ワルツ」(1960年6月)

「君を呼ぶ日本平」(1961年3月)

「南国にすてた恋」(1961年5月)

NHK紅白歌合戦出場歴

第7回(1956年12月31日、東京宝塚劇場)『娘艶歌師』

第8回(1957年12月31日、東京宝塚劇場)『どうせ拾った恋だもの』

第9回(1958年12月31日、新宿コマ劇場)『プリンセス・ワルツ』

第10回(1959年12月31日、東京宝塚劇場)『ロマンス・ガイド』

第11回(1960年12月31日、日本劇場(日劇))『新調深川節』

第7回 - 第10回については彼女の歌のラジオ中継の音声が現存する。第10回は2009年(平成21年)4月29日放送のNHK-FM今日は一日“戦後歌謡”三昧』の中で、彼女の歌の音声も含め全編の音声が再放送された。第8回と第10回は彼女の歌唱中の写真も現存する[5][6]
主なテレビ出演

一枚の写真(1991年3月7日、フジテレビ)

第36回思い出のメロディー(2004年8月7日、NHK総合)

第42回思い出のメロディー(2010年8月21日、NHK総合)

懐かしの昭和メロディー(2011年1月14日、テレビ東京)

木曜8時のコンサート?名曲!にっぽんの歌?(2013年9月19日ほか、テレビ東京)

NHK歌謡コンサート(2012年5月22日、NHK総合)


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