二・二六事件
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二・二八事件」とは異なります。

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二・二六事件
叛乱軍の栗原安秀陸軍歩兵中尉(中央マント姿)と下士官
場所 日本 東京府東京市
標的君側の奸と見なした重臣岡田啓介斎藤実高橋是清鈴木貫太郎渡辺錠太郎牧野伸顕)・国会議事堂警視庁首相官邸など首都機能の要を担う施設
日付1936年昭和11年)
2月26日?2月29日
概要陸軍皇道派の青年将校が1,483名の下士官を率い明治維新に継ぐ、天皇を中心とする「一君万民(擬似的民主制)」復元のため「昭和維新」と称し、「君側の奸」である政府要人を襲ったクーデター未遂事件[1]
原因陸軍内部の皇道派統制派の派閥対立
重臣、軍閥財閥政争を繰り返す政党政治政治家への失望と憎悪[2]
攻撃側人数約1500人
武器重機関銃軽機関銃小銃拳銃銃剣軍刀
死亡者松尾伝蔵・内閣総理大臣秘書官事務取扱(私設秘書)
高橋是清大蔵大臣
斎藤実内大臣
渡辺錠太郎教育総監
負傷者鈴木貫太郎侍従長
被害者警察官5名殉職、1名重傷
犯人野中四郎安藤輝三栗原安秀香田清貞磯部浅一村中孝次林八郎池田俊彦
関与者北一輝西田税真崎甚三郎本庄繁他皇道派将官
対処首謀者の裁判
処刑や禁錮
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内務省庁舎前で歩哨線を張る叛乱軍兵士叛乱部隊「安藤隊」旗叛乱軍将兵。左手前は丹生誠忠陸軍歩兵中尉

二・二六事件(ににろくじけん、にいにいろくじけん)とは、1936年昭和11年)2月26日から2月29日にかけて発生した日本クーデター未遂事件。

皇道派の影響を受けた陸軍青年将校らが1,483名の下士官を率いて蜂起し、政府要人を襲撃するとともに永田町霞ヶ関などの一帯を占拠したが、最終的に青年将校達は下士官兵を原隊に帰還させ、自決した一部を除いて投降したことで収束した。この事件の結果、岡田内閣が総辞職し、後継の広田内閣廣田内閣)が思想犯保護観察法を成立させた。
概要

昭和初期から、陸軍では統制派皇道派の思想が対立し、また、海軍では艦隊派条約派が対立していた(派閥については後述)。統制派の中心人物であった永田鉄山らは、1926年(大正15年/昭和元年)には第1次若槻内閣下で、諸国の国家総動員法の研究を行っていた[3][注釈 1]

一方、その後の犬養内閣は、荒木貞夫陸軍大将陸軍大臣教育総監真崎甚三郎陸軍大将、陸軍軍人兼貴族院議員の菊池武夫を中心とする、ソ連との対立を志向する皇道派を優遇した。皇道派の青年将校(20歳代の隊附の大尉中尉少尉達)のうちには、彼らが政治腐敗や農村困窮の要因と考えている元老重臣を殺害すれば天皇親政が実現し諸々の政治問題が解決すると考え、「昭和維新尊皇斬奸」などの標語を掲げる者もあった[注釈 2]

しかし満州事変に続く犬養首相暗殺事件ののち、日本国は軍政に移行する。斎藤内閣は青年将校らの運動を脅しが効く存在として暗に利用する一方、官僚的・立法的な手続により軍拡総力戦を目指す統制派(ソ連攻撃を回避する南進政策)を優遇した。行政においても、1934年には司法省ナチス法を喧伝しはじめ[4]、帝国弁護士会がワシントン海軍軍縮条約脱退支持の声明を行い[5]陸軍大臣には統制派の林銑十郎陸軍大将が就任し、皇道派を排除しはじめた。1935年7月、皇道派の重鎮である真崎が辞職勧告を受けるに至っては、陸軍省内で陸軍中佐相沢三郎による相沢事件が発生し、当時は陸軍軍務局長となっていた統制派主導者の永田鉄山が死亡した。斎藤内閣や林ら陸軍首脳らはこれに対し、皇道派将校が多く所属する第一師団の満州派遣を決定する。

皇道派の青年将校たちは、その満州派遣の前、1936年(昭和11年)2月26日未明、部下の下士官兵1483名を引き連れて決起した。決起将校らは歩兵第1連隊歩兵第3連隊近衛歩兵第3連隊野戦重砲兵第7連隊等の部隊中の一部を指揮して、岡田啓介内閣総理大臣鈴木貫太郎侍従長斎藤実内大臣高橋是清大蔵大臣渡辺錠太郎教育総監牧野伸顕前・内大臣を襲撃、首相官邸警視庁、内務大臣官邸、陸軍省参謀本部、陸軍大臣官邸、東京朝日新聞を占拠した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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