二つ目
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落語家(らくごか)は、落語を演じることを職業とする人。戦前は、寄席がおもな活動の拠点で、グループを組んで地方公演も行っていたが、戦後はその話術を生かしテレビラジオ司会業パーソナリティなどを行うことも多かった。話家・噺家・咄家(はなしか)は、「落語家」の古い表現である。[要出典]

落語家の演ずる噺は大別して二種類ある。
落とし噺:噺(はなし)の終わりに「落ち(「さげ」とも言う)」がある噺。「落語」はこれに該当する。

人情噺:親子や夫婦などの情愛を主に描く話。噺の終わりに「落ち」が無いこともある。

1.の落とし噺を語るため、「落語家」という表現が生まれたが、現在はいずれの場合も「落語家」と呼ぶ。また「噺家」という呼称もほぼ同意語で使われており、落語家の中には「噺家」という呼び方を好む者もいる。[要出典]

江戸時代には狂歌雑俳に関わる人々など素人の咄家も活躍していたが、やがて烏亭焉馬三笑亭可楽などの職業咄家たちがあらわれた[要出典]。
目次

1 身分制度

1.1 江戸・東京落語の身分制度

1.1.1 見習い

1.1.2 前座

1.1.2.1 へたり・戻り前座


1.1.3 二つ目

1.1.4 真打

1.1.5 問題点

1.1.6 戦後の騒動


1.2 上方・大阪落語の身分制度


2 アマチュアの落語家

3 女性の落語家

4 落語家の所属団体

4.1 関東の落語家

4.2 関西の落語家


5 無所属の落語家

5.1 上方落語協会を離脱している落語家

5.2 名古屋の落語家

5.3 仙台の落語家

5.4 団体から独立してプロ活動を続ける者

5.4.1 東京

5.4.2 上方

5.4.3 岡山

5.4.4 沖縄


5.5 事実上のレッスン・プロ


6 首都圏・中京・関西圏以外に拠点を移した落語家

7 政治家になった落語家

8 かつてプロ落語家だった著名人

9 親子落語家

10 代表的な落語家

11 脚注

11.1 注釈

11.2 出典


12 関連項目

身分制度

日本の法律では職業として落語を行うのには資格は必要が無いが、出演する興行を行う団体が定める資格が必要になる場合がある。落語協会等の団体では「身分制度」という仕組みを定めている。以下の記述は身分制度に関してである。
江戸・東京落語の身分制度

その身分は見習い、前座(ぜんざ)、二つ目(ふたつめ)、真打(しんうち)からなる。
見習い

弟子入りを志願した師匠から入門の許可を得た落語家の卵。入門したあと、前座名(名前)を師匠からもらい、前座登録をして、前座として楽屋入りするまでは見習いと呼ぶ。正規の身分制度にはもともと存在しないが、前座の数が多いのでそれまでの待機をする。おもに師匠宅で師匠・その家族のために家事などの下働き・雑用をする。休みはない。昔は師匠宅に住み込みで身の回りの世話をすることも含め修行であったが(いわゆる内弟子)、現在は通い弟子がほとんどであり、内弟子は非常に珍しい。住み込みであれば家賃も食費もかからないが、自分の自由な時間が持てないというデメリットもある。見習いと前座は、落語家社会では一人前とみなされない。
前座

仏教における前座(まえざ)説教が語源。前述の、師匠宅の家事・雑用の他に、寄席での仕事(前座修行)が課せられる。寄席での、呼び込み太鼓鳴り物・めくりの出し入れ・色物の道具の用意と回収・マイクのセッティング・汲み・着物の管理など楽屋、寄席共に毎日雑用をこなす(大阪では、これらの仕事のうち太鼓・鳴物以外は「お茶子」と呼ばれる寄席従業員によって行われる)。寄席で「開口一番」と呼ばれる最初の一席を受持つ場合もあるが、あくまで勉強の為であるから通常は落語家名は番組にも載らない。また、出演料(という)も貰えないが、僅かながら1日あたり定額の小遣い(給金)がもらえる。

当日の寄席で働く前座のうち、もっとも古株を立前座(たてぜんざ)と呼ぶ。寄席興行の進行についての決定権を持つ、重要な役回りである。楽屋仕事を他の(下の)前座に指図する。ネタ帳を記録するのも立前座の仕事である。
へたり・戻り前座

4代目橘家圓喬は一旦二つ目に昇進したが、親を養う金を稼ぐために、自ら前座に降格した[1]。このように、「二つ目に昇進できるのにあえて前座に止まる」落語家をへたりという。永久前座という異名もある。昭和30年代くらいまでは、へたりが数人いた。橘ノ圓福・林家正吉らである[2]歌舞伎でいう「頭取」のようなものであり、実際には寄席従業員として働いているのと変わらない。また二つ目が真打昇進を諦め再び前座に戻ることを戻り前座という。一方、大阪ではへたりは太鼓・鳴物の演奏を務める人を意味し、以前はかなり重宝された。主なへたりには三升小三戎橋松竹)・桂右之助千日劇場・旧うめだ花月)・桂文蝶千日劇場)・桂團治道頓堀角座)・橘家つばめ(神戸松竹座)・2代目三升紋三郎新花月)などがいた。

現在はこのようなへたり、戻り前座になるものは全くいないといってよい。ただ、例外として二つ目が他の組織に移籍したことでその組織で前座修行をやり直すこと[注釈 1]や、二つ目で廃業したのち復帰し、再度前座から修行し直すといったケースはある。ただし、この場合はへたりや戻り前座とは呼ばない。
二つ目

前座と真打の間。前座に続き、二番目に高座に上がるため「二つ目」と呼ばれる[注釈 2][3]。かつての上方落語では中座(なかざ)と呼んだ。

落語家社会の中でようやく一人前とみなされる。自分の労力と時間を全て自分のためにだけ使うことが許される。師匠宅の雑用も寄席での裏方仕事もしなくてよい[注釈 3]。以下のことが許される。

紋付を着ること。

番組に名前を出す。

自分の手拭を昇進の挨拶に配ること。

飲酒・喫煙(一門による)

自分で落語会を開催すること。

自分でテレビ・ラジオ出演や営業などへの売り込みをすること。また実際に出演すること[注釈 4]

正規の落語家として、寄席で落語をして割がもらえるようになる。しかし、定席への出演機会は大変限られているので、仕事は基本的に自分で探してこなければならなくなる。さもなくば本当に仕事がない状態となる。つまり自営業である。前座でやってきた雑用が免除される代わりに小遣いもなくなるので、経済的には苦しいと言われる。ただし、実際にはヨビと呼ばれる「仕事」が存在する。これは、代演要員として寄席に出勤するというもので、抜いた落語家の穴が埋まらない時に高座に上がれる。

一部を除いて、二つ目までは、自身の師匠が死去した場合には別の真打の門下に移ることになっている。
真打「真打」も参照

真打の語は、「(蝋燭の)芯を打つ」ことから転じた。蝋燭は江戸時代の室内照明であり、それを打つ=消すのは最後に上がる出番の落語家が演じ終わってからである。


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