事代主神
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事代主神
長田神社兵庫県神戸市長田区

神祇国津神
全名事代主神
別名八重事代主神、八重言代主神、玉櫛入彦厳之事代神、都味歯八重事代主神、積羽八重事代主命、辞代主神 等
別称恵比寿大神
神格託宣の神、漁業の神、鰐神
大国主神
神屋楯比売命(『古事記』)
高津姫神(『先代旧事本紀』)
配偶者玉櫛媛、阿波当ス 等
櫛御方命媛蹈鞴五十鈴媛命五十鈴依姫命
神社美保神社鴨都波神社長田神社
関連氏族三輪氏賀茂氏宗像氏長国造都佐国造波多国造波多氏)、石辺氏
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事代主神(ことしろぬしのかみ)は、日本神話に登場する
記紀の記述

別名は八重言代主神、八重事代主神とも表記し、『古事記』において大国主神神屋楯比売命との間に生まれたとされる。

葦原中国平定において、建御雷神らが大国主神に対し国譲りを迫ると、大国主は美保ヶ崎で漁をしている息子の事代主神が答えると言った。そこでタケミカヅチが美保ヶ崎へ行き事代主に国譲りを迫ると、事代主神は「承知した」と答え、船を踏み傾け、天ノ逆手を打って青柴垣に変えて、その中に隠れてしまった。この天ノ逆手は一般に手を逆さに打つことだと考えられている。

抵抗した弟の建御名方神も建御雷神に服従すると、大国主神は国譲りを承諾し、事代主神が先頭に立てば私の180人の子供たちも事代主神に従って天津神に背かないだろうと言った。
系譜

『古事記』では大国主神神屋楯比売命の子とされ、『日本書紀』では大国主神の子、『先代旧事本紀』では大国主神と高津姫神との子とする。

日本書紀・神武紀』には、神武天皇の皇后となる媛蹈鞴五十鈴媛命に関して事代主神、共三嶋溝?耳神之女玉櫛媛所生兒、號曰媛蹈鞴五十鈴媛命。

『事代主神、三嶋溝?耳神(みしまのみぞくひみみのかみ、陶津耳)の娘の玉櫛媛(たまくしひめ)に共(みあひ)して生める子を、なづけて媛蹈鞴五十鈴媛命(ひめたたらいすずひめのみこと)ともうす。』とあり、事代主神は神武天皇の岳父となっている。これは『古事記』で大物主神三嶋湟咋(みしまのみぞくい、陶津耳命)の娘の勢夜陀多良比売(せやだたらひめ、活玉依毘売)との間に比売多多良伊須気余理比売を生んだことと一致する。また『日本書紀』で三輪氏の祖の天日方奇日方命を生んだことと、『古事記』で三輪氏の祖の櫛御方命を生んだことに一致する。

その他、宝賀寿男や村島秀次は、綏靖天皇の皇后は、『日本書紀』本文では事代主神の女、『古事記』では師木県主の祖の河俣毘売となっていることから、神武東征以前の大和在地豪族で、磯城県主を任じられた弟磯城(おとしき、黒速)は天日方奇日方命と同一人物であり、また事代主神については、その系譜や世代関係(神武天皇の父母世代)からも実態は大物主神と同一神であると主張した。[1][2]

また宝賀寿男は、葛城には事代主神を祀る鴨都波神社奈良県御所市)があり、賀茂朝臣氏地祇三輪氏同族)が祖神を奉斎したと主張した[3]

先代旧事本紀』では、大国主神と高津姫神(宗像三女神多岐都比売命とされる)の子として記述されている。なお海部氏勘注系図には高津姫神は「神屋多底姫」(かむやたてひめ)の別名としており、『古事記』の大国主神が神屋楯比売命を娶って生んだとする記述と一致する。

『日本書紀』には陶津耳の娘である玉依姫命との間に天日方奇日方命媛蹈鞴五十鈴媛命五十鈴依媛命を生んだとされる。
信仰

美保神社島根県松江市)、三輪惠比須神社(奈良県桜井市)、長田神社神戸市長田区)、有間神社神戸市北区)、事代主神社 (阿波市)徳島県阿波市)、生夷神社徳島県勝浦郡)、北門神社北海道稚内市)のほか、京都ゑびす神社京都市東山区)、今宮戎神社大阪市浪速区) 、志紀長吉神社大阪市平野区) 、大前恵比寿神社栃木県真岡市)などのえびすを祀る神社でも祀られ、宮中でも御巫八神の一柱になっている。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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