予定説(預定説、よていせつ、英語: Predestination)は、聖書からジャン・カルヴァンによって提唱されたキリスト教の神学思想。カルヴァンによれば、神の救済にあずかる者と滅びに至る者が予め決められているとする(二重予定説)。神学的にはより広い聖定論
に含まれ、その中の個人の救済に関わる事柄を指す。全的堕落と共にカルヴァン主義の根幹を成す。予定説を支持する立場からは、予定説は聖書の教えであり正統教理とされるが、全キリスト教諸教派が予定説を認めている訳ではなく、予定説を認める教派の方がむしろ少数派である(後述)。 予定説に従えば、その人が神の救済にあずかれるかどうかはあらかじめ決定されており、この世で善行を積んだかどうかといったことではそれを変えることはできないとされる。例えば、教会にいくら寄進をしても救済されるかどうかには全く関係がない。神の意思を個人の意思や行動で左右することはできない、ということである。これは、条件的救いに対し、無条件救いと呼ばれる。神は条件ではなく、無条件に人を選ばれる。神の一方的な恩寵である。 救済されるのは特定の選ばれた人に限定され、一度救済にあずかれた者は、罪を犯しても必ず神に立ち返るとされる[1]。これは、聖徒の堅忍と信仰後退者の教理である。[2][3] アウグスティヌスは、人間が全的に堕落し、救われるためには神の恵みによらなければならないが、神はすべての人を救われるのではなく、救われるべき人々を神があらかじめ選ばれたという予定説を展開した、と改革派教会においては理解される[4][5]。 ただし、アウグスティヌスを聖人として列聖する正教会・カトリック教会においては、アウグスティヌスの見解を予定説とは捉えていない。 アウグスティヌスは、ペラギウス主義および半ペラギウス主義への反駁として、救済の恩寵が信仰や善行に対する因果関係において先行すると説いた。しかし、アウグスティヌスの著書「告白」において、母モニカの死後、彼女の救済を願う祈りが記されている。そのため、実際のアウグスティヌスによる恩寵論がカルヴァニズムに見られる予定説を意味すると捉えるのは極めて困難だといえる。 予定説はオランダのカルヴァン派で発展し、救済の予定が人間(アダム)の堕落の前とする堕落前予定説と、堕落の後とする堕落後予定説との論争が起こった。堕落前予定説では人間の自由意思の余地は全くないと批判されることがある。 救いの選びと、滅びの選びについて教えた二重予定説についても議論が多い。聖書は救いに選ばれた者のために書かれたのであり、カルヴァンは滅びの選びを強調していない。滅びに選ばれた者のために聖書が書かれたわけではない。 オランダ改革派のヤーコブス・アルミニウスは予定説に反対し、普遍救済説を提唱したが、1610年に改革派のドルト会議で、このアルミニウスの思想は異端として排斥された。このとき「人間の全面的堕落、無条件的選び、限定的贖罪、選びの召命における不可抗的恩恵、聖徒の堅忍」という、カルヴァン主義の5つの特質として定義された。 イングランドのメソジストは、予定説を批判するアルミニウス主義をとっている[6]。ジョン・ウェスレーがアルミニウス主義を受け入れたために、カルヴァン主義のジョージ・ホウィットフィールドとの間に論争が起こった。イングランドのメソジストはアルミニウス系だが、ホウィットフィールドの影響があるウェールズのメソジストはカルヴァン主義である。ウェールズのメソジストを助けたハンティンドン伯爵夫人もカルヴァン主義者であった。 ドルト会議以降、カルヴァン主義系統とアルミニウス系統の論争が続いていたが、自由主義神学(リベラル)が現れ、この敵に立ち向かうために、福音陣営において両者の論争は沈静化した[7] 。
内容
アウグスティヌスの説に対する見解
改革派教会内の論争「ドルト信仰基準」および「アルミニウス主義」も参照
二重予定説
アルミニウス主義の台頭
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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