亀田誠治
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生誕

(1964-06-03)
1964年6月3日(60歳)

アメリカ合衆国ニューヨーク

出身地 日本
学歴早稲田大学第一文学部
ジャンル.mw-parser-output .hlist ul,.mw-parser-output .hlist ol{padding-left:0}.mw-parser-output .hlist li,.mw-parser-output .hlist dd,.mw-parser-output .hlist dt{margin-right:0;display:inline-block;white-space:nowrap}.mw-parser-output .hlist dt:after,.mw-parser-output .hlist dd:after,.mw-parser-output .hlist li:after{white-space:normal}.mw-parser-output .hlist li:after,.mw-parser-output .hlist dd:after{content:" ・\a0 ";font-weight:bold}.mw-parser-output .hlist dt:after{content:": "}.mw-parser-output .hlist-pipe dd:after,.mw-parser-output .hlist-pipe li:after{content:" |\a0 ";font-weight:normal}.mw-parser-output .hlist-hyphen dd:after,.mw-parser-output .hlist-hyphen li:after{content:" -\a0 ";font-weight:normal}.mw-parser-output .hlist-comma dd:after,.mw-parser-output .hlist-comma li:after{content:"、";font-weight:normal}.mw-parser-output .hlist-slash dd:after,.mw-parser-output .hlist-slash li:after{content:" /\a0 ";font-weight:normal}.mw-parser-output .hlist dd:last-child:after,.mw-parser-output .hlist dt:last-child:after,.mw-parser-output .hlist li:last-child:after{content:none}.mw-parser-output .hlist dd dd:first-child:before,.mw-parser-output .hlist dd dt:first-child:before,.mw-parser-output .hlist dd li:first-child:before,.mw-parser-output .hlist dt dd:first-child:before,.mw-parser-output .hlist dt dt:first-child:before,.mw-parser-output .hlist dt li:first-child:before,.mw-parser-output .hlist li dd:first-child:before,.mw-parser-output .hlist li dt:first-child:before,.mw-parser-output .hlist li li:first-child:before{content:" (";font-weight:normal}.mw-parser-output .hlist dd dd:last-child:after,.mw-parser-output .hlist dd dt:last-child:after,.mw-parser-output .hlist dd li:last-child:after,.mw-parser-output .hlist dt dd:last-child:after,.mw-parser-output .hlist dt dt:last-child:after,.mw-parser-output .hlist dt li:last-child:after,.mw-parser-output .hlist li dd:last-child:after,.mw-parser-output .hlist li dt:last-child:after,.mw-parser-output .hlist li li:last-child:after{content:")\a0 ";font-weight:normal}.mw-parser-output .hlist ol{counter-reset:listitem}.mw-parser-output .hlist ol>li{counter-increment:listitem}.mw-parser-output .hlist ol>li:before{content:" "counter(listitem)" ";white-space:nowrap}.mw-parser-output .hlist dd ol>li:first-child:before,.mw-parser-output .hlist dt ol>li:first-child:before,.mw-parser-output .hlist li ol>li:first-child:before{content:" ("counter(listitem)" "}

ロック

J-POP

職業

音楽プロデューサー

作詞家

作曲家

編曲家

ベーシスト

担当楽器

ベース

コーラス

プログラミング

活動期間1989年 -
レーベルEMIミュージック・ジャパン[注 1]
配偶者下成佐登子
事務所

ハーフトーンミュージック

誠屋

共同作業者

#主な仕事の一覧を参照

公式サイト

誠屋

亀田 誠治(かめだ せいじ、1964年6月3日 - )は、日本音楽プロデューサー作詞家作曲家編曲家ベーシスト東京事変のメンバー[1]。妻はシンガーソングライター下成佐登子
来歴
生い立ち

1964年、両親が仕事で駐在していたときにアメリカ合衆国ニューヨークにて誕生。生後1年で日本に帰国[1][2]。両親は栃木県の出身[3]

3歳のとき、ピアノを習い始める[2]大阪千里山に引っ越し、吹田市立千里第三小学校に入学[1]。小学5年生の時にたまたま自宅にあったクラシックギターでビートルズをコピーしたことをきっかけにギター教室に通うが、6年生になると東京江古田に引っ越すことになり、ギターはそれきりになる[1][2]。東京では趣味はBCL(海外短波放送受信)と全米TOP40という洋楽のヘビーリスナーになる[1][2]。中学2年生の時にベースを購入し、プロのミュージシャンになることを意識し始める[2]
音楽業界へ

大学在学中にピアニスト・ヴォーカリストの吉中美樹音楽ユニット「Miki-Pooh」を結成する。就職活動の代わりに曲を書き、デモテープを作ってはレコード会社に送り、バンドのコンテストにも応募するなど音楽業界へ入る道筋を探すが、結果は出なかった[4]。亀田が作った曲をきっかけに仲間のデビューが決まるが、デビュー曲の作曲やアレンジはプロが行い、亀田自身はデビューすることもそこに関わることもできなかった[4]。しかし、その縁でスタジオに出入りするようになり、プロの現場でレコーディングの仕事を学ぶ機会に恵まれる。そのうちにこまごまとした作業を任されるようになる[4]

1988年、一年留年したが友人の助けを得て大学を卒業。この頃から自作デモテープがオーディションで注目されるようになり、各賞を総ナメにすることも多くなる[1]

1989年、自作曲がコンペで当選し最初の転機が訪れる[5]アイドルグループCoCoのデビュー直後のシングルに採用されることが決まっただけでなくアレンジも任されることになり、ハーフトーンミュージックに所属して編曲家として活動を開始する[4]。また同年にシンガーソングライター崎谷健次郎のサポート・ミュージシャンに起用され、それをきっかけにベーシストとしても様々なアーティストたちのレコーディングにスタジオ・ミュージシャンとして参加するようになる[4]1995年には崎谷健次郎のアコースティック・ライヴに参加し、その模様はNHK-BS2で放映された。
音楽プロデュース業確立期

1998年に椎名林檎と出会い、これが2度目の転機となる[5]。当時、椎名のような個性を持つアーティストはおらず、それをどう生かすかで悩んでいたレコード会社の担当者が、亀田なら椎名と上手に向き合って何か生み出してくれるのではないかと期待して声をかけてきたものだった[注 2]

アレンジャーとベーシストとして参加した椎名のアルバムが2作連続してミリオンセラーとなったことで音楽業界に名前が知られるようになり、2000年代に入ると次第に音楽プロデューサーとしての仕事が増えてくる[4]スピッツ平井堅スガシカオなど、様々なアーティスト達から次々にプロデュースの依頼が舞い込むようになり、有名プロデューサーの仲間入りを果たした。
「東京事変」結成?解散バンド「東京事変」のメンバーとしての活動については「東京事変」を参照

2004年夏、亀田は旧知の椎名の誘いで、椎名のバンドである「東京事変」にベーシストとして加入、40歳にして念願のバンドデビューを果たし、ミュージシャンとして日本武道館のステージに立つという25年越しの夢を実現した[4]

2007年、平井の「哀歌 (エレジー)」やアンジェラ・アキの「サクラ色」など数多くの楽曲を編曲した実績により、第49回日本レコード大賞の編曲賞を受賞した。

2008年5月、映画『隠し砦の三悪人 THE LAST PRINCESS』の制作スタッフからの指名で、布袋寅泰KREVAとともに期間限定ユニットThe THREE」を結成し、映画をプロモーションする[7]

2009年5月2日・3日、日本武道館にて、自身の総指揮によるライブイベント「亀の恩返し」を開催[8]

2009年12月6日、TBS系放送の情報ドキュメンタリー番組情熱大陸」に出演、作業風景が特集される。

2010年、NHK-BS2で放送されている音楽情報番組『ウエンズデー J-POP』に音先案内人として不定期出演。

2011年12月31日、東京事変のメンバーとして「第62回NHK紅白歌合戦」に出場する椎名のバックバンドを務める。

2012年2月29日閏日)、東京事変解散。
現在まで

2012年7月1日、クリエイティブディレクターの箭内道彦東日本大震災復興支援プロジェクト「THE HUMAN BEATS」の一環として楽曲制作の依頼を受け、箭内が作詞・作曲、亀田がプロデュースを手がけたチャリティソング「『two shot』feat.キヨサク【one chorus ver.】」が配信リリースされる[9][注 3]。ボーカルはMONGOL800のキヨサクがウクレレの弾き語りで参加。

2012年9月19日、「THE HUMAN BEATS」のチャリティCD「Two Shot」がタワーレコード限定でリリースされる[10][注 3]。前作の配信版に新たにRHYMESTERMummy-Dがラッパーとして参加。

2012年11月4日、ラフォーレミュージアム六本木にてヤマハLMが開催するイベント「サウンドジャム」内のスペシャルイベントとして、亀田主催のベースコンテスト「第一回亀田杯ベース選手権大会」の最終ライブ審査を開催。

2013年5月18日・19日、日本武道館にて主催ライブイベント「亀の恩返し2013」を開催[11]

2013年7月31日と8月1日に東京・東京国際フォーラム ホールAで開催されたクインシー・ジョーンズの来日公演にて、トリビュートパートのプロデュースを手掛ける[12]

2013年9月9日より、自身が出演した東洋水産のカップ麺「マルちゃん 麺づくり」CMが放送開始[13]

2013年12月、音楽プロデュースを手がけた映画「カノジョは嘘を愛しすぎてる」が劇場公開[注 4]。劇中バンド「CRUDE PLAY」と「MUSH&Co.」のプロデュースも行う。

2014年5月11日、東京・青山 スパイラルホールにて、亀田主催のベースコンテスト「第二回亀田杯ベース選手権大会」の最終審査を公開ライヴ形式で行う[15][注 5]

2014年10月12日、東京・恵比寿ザ・ガーデンホールにてトーク&ライヴイベント「J-WAVE『BEHIND THE MELODY』?FM 亀の恩返し supported by イープラス」を開催[16]

2014年11月、flumpoolのボーカル山村隆太とギター阪井一生の誘いで期間限定のスペシャルユニット「THE TURTLES JAPAN」を結成[17][18]

2015年、いきものがかりの「あなた」、大原櫻子」で、第57回日本レコード大賞・編曲賞を受賞[19]

2016年3月、高橋優のシングル「さくらのうた」に、高橋優とのユニット・メガネツインズの楽曲「メガネが割れそう」が収録された。以降の高橋優のシングルにはメガネツインズの楽曲が1曲収録されている。

2016年12月31日、第67回NHK紅白歌合戦に出場する椎名林檎のバックバンドのメンバーを務め、東京事変解散から4年10か月ぶりに共演。

2018年4月2日、同日から大幅刷新されたフジテレビの新ニュースブランド「プライムニュース」(昼の「 - デイズ」、夕方の「 - イブニング」、深夜の「- α」、日曜の「報道プライムサンデー」)の各テーマ曲を担当[20]


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