亀田興毅
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亀田 興毅第30回セントウルステークス表彰式にて
(2016年9月11日)
基本情報
本名亀田 興毅
通称浪速乃闘拳
階級スーパーフライ級
身長165.9cm
リーチ169cm
国籍 日本
誕生日 (1986-11-17) 1986年11月17日(37歳)
出身地大阪府大阪市
家族亀田史郎(父)
亀田大毅(弟)
亀田和毅(弟)
亀田姫月(妹)
親戚亀田京之介(従兄弟)
スタイル左ボクサーファイター
プロボクシング戦績
総試合数35
勝ち33
KO勝ち18
敗け2
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亀田 興毅(かめだ こうき、1986年(昭和61年)11月17日 - )は、日本の元プロボクサー大阪府大阪市西成区天下茶屋出身。亀田プロモーション代表取締役社長。元WBA世界ライトフライ級王者。元WBC世界フライ級王者。元WBA世界バンタム級レギュラー王者。世界3階級制覇王者

長男で、亀田大毅亀田和毅は実弟、亀田姫月は実妹、亀田史郎は実父、亀田京之介は従兄弟である。
来歴
プロデビューまで

幼少時代は人見知りで体格も小さかったため、よくいじめに遭っており、父・史郎の勧めで4歳頃から空手を始める[1][2][3][4]

14歳の時に井岡弘樹エキシビションマッチを行った[5]
プロ時代

2003年12月21日、プロデビュー戦でデンナロン・シスソバと対戦し、KO勝ち[6]

2005年4月28日、グリーンツダジムから東京協栄ジムへ移籍した。3,000万円の移籍金が発生したと報道された[7]
ライトフライ級王座獲得、ランダエタ戦での判定問題

2006年8月2日、横浜アリーナで元WBA世界ミニマム級暫定王者ファン・ランダエタとの、WBA世界ライトフライ級王座決定戦を行い、12回2-1の判定勝ちを収めて王座を獲得。日本人ではファイティング原田井岡弘樹に続いて10代で世界を手にしたことになるが[8]、試合内容はメディアから、かなり苦言を呈されており、初回終了間際ダウンを喫し、終始苦戦した亀田が勝利したことに「ランダエタが勝っていた」と批判され、社会問題に発展した(詳細はランダエタの項と下の項目を参照)。
セコンドでの不適切指示で厳重戒告処分

2007年10月11日の、WBC世界フライ級王者内藤大助と弟・大毅の世界戦では、大毅のセコンドにつき、不適切な指示をしたとして日本ボクシングコミッション(JBC)より厳重戒告処分を受けた。また、10月25日に予定されていた自身の試合も「対戦相手が決まらなかった」との理由で中止となった。なお、行われる予定であった試合については、10月26日の記者会見で以下のことが明らかになった[9]。中止になった理由については、処分待ちの時点でリングに上がれないと亀田側が一方的に判断していただけであった。対戦相手は決まっており、相手も試合に向けて調整を行っていたが、試合のキャンセルの連絡を入れていないなど主催者側にも不手際があった。10月26日には金平会長が2度目の謝罪会見を行ったが、興毅は遅れる形で登場し亀田一家を代表し一連の反則行為について謝罪した。記者からの反則を指示したのかどうかについて聞かれると「言い訳はしない。反省している」と述べ、遠回しに反則指示を認めた。この会見で興毅が代表して謝罪して記者から厳しい質問が飛び交いながらも真摯に対応した興毅にはその姿勢を評価したり同情的な声が上がった。一方で史郎に対しては一家の大黒柱でありながら「出席しないことでボクシングには関わらない」と発言して会見に出席せず、興毅を一家の代表として謝罪させたことに批判の声が上がった[10]
亀田ジム設立、2階級制覇達成

2008年8月12日、亀田プロモーションのチーフマネジャーである五十嵐紀行が会長を務め、ワタナベボクシングジムの渡辺均会長が推薦人となって申請されていた「亀田ジム」設立が、東日本ボクシング協会の定例理事会で承認された[11][12]

2009年9月16日、亀田プロモーションが、興毅、大毅が所属していた協栄ボクシングに、両選手が受け取るはずだった3試合分のファイトマネーなどの未払いがあるとして、計約1億円の支払いなどを求める民事提訴を東京地裁に起こしていたことが分かった[13]。(2012年3月に協栄ジム金平桂一郎会長が係争中だった亀田ジムと和解したことを明かしている)[14]

2010年3月27日、有明コロシアムでWBC世界フライ級暫定王者ポンサクレック・ウォンジョンカムと対戦し、0-2(112-116、112-115、114-114)の判定負けで団体内王座統一に失敗し、僅か4ヵ月で王座から陥落した[15]。これによりプロ初黒星となりデビュー戦からの連勝も22で止まった。さらに試合後に父・史郎が控え室でWBCやJBCの役員に対して暴言を吐き、メディアに対して「安河内剛(JBC事務局長)のクビをとる」などと不適切な発言をしたことから、亀田ジムの無期限活動自粛と興毅、大毅、和毅の3人の東日本ボクシング協会の協会預かり選手になることが決定した[16]


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