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基本情報
本名亀田 大毅
通称浪速乃弁慶
階級スーパーフライ級
身長167cm[1]
リーチ164cm[1]
国籍 日本
誕生日 (1989-01-06) 1989年1月6日(35歳)
出身地大阪府大阪市
家族亀田史郎(父)
亀田興毅(兄)
亀田和毅(弟)
亀田姫月(妹)
親戚亀田京之介(従兄弟)
スタイル右ボクサーファイター
プロボクシング戦績
総試合数34
勝ち29
KO勝ち18
敗け5
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亀田大毅
YouTube
チャンネル
亀田興毅×亀田大毅の3150チャンネル
活動期間2021年 -
ジャンルスポーツ・競馬・バラエティ
登録者数約5.77万人
総再生回数約2310万回
チャンネル登録者数・総再生回数は
2022年8月20日時点。
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亀田 大毅(かめだ だいき、1989年(昭和64年)1月6日 - )は、日本の男性元プロボクサー。大阪府大阪市西成区天下茶屋出身。元WBA世界フライ級王者。元IBF世界スーパーフライ級王者。世界2階級制覇王者。現KWORLD3ボクシングジム会長。
亀田三兄弟の次男で、亀田興毅の弟であり、亀田和毅・亀田姫月の兄である。かつては父の亀田史郎がトレーナーを務めていた。
既婚。2児の父。 小学生からボクシングを始め、天下茶屋中学卒業後はアマチュアの試合に出場し13勝(4KO・RSC)2敗。 2004年5月に、史上最年少の15歳3か月で全日本実業団選手権バンタム級優勝。12月全日本社会人選手権準優勝、2005年11月、協栄ボクシングジムに入門。 2005年9月14日、当時WBA世界フライ級王者のロレンソ・パーラ(ベネズエラ)とスパーリングを行った。その際、大毅は体当たりや頭突きなどのラフファイトを展開。これに激怒したパーラは、大毅を一方的に打ちまくり、スパーリングでダウン寸前まで追い込んだ。 2006年1月11日、B級ライセンス(6回戦)のプロテストに合格。 2006年2月26日のプロデビュー戦から10連勝を果たした。 2007年10月11日にWBC世界フライ級王者の内藤大助(日本)に挑戦したが、度重なる反則行為をしたことが響き大差の判定負けとなった。この敗戦が亀田一家としてプロでの初めての黒星となったが、前述の反則行為により1年間のボクサーライセンス停止処分を受けた。そして亀田一家もこれまでのビッグマウスや相手選手を挑発する派手なパフォーマンスなどの言動や行動が仇となり世間から大きなバッシングを浴びることになった。 2008年5月9日付けで亀田興毅と共に協栄ジムとの契約を解除された。2人は東日本ボクシング協会に協会預かり申請をしていたが、6月9日の理事会で要請を却下することを全会一致で決定。その後、亀田ジム設立に伴い兄弟たちと同様にその所属選手となった。
人物
自称「浪速乃弁慶」(なにわのべんけい)。その由来は「倒れないタフなところ」に憧れたもの。その名に恥じずタフネスを発揮し、KO負け、ダウンを一切経験せずに引退した数少ない日本人世界王者の一人である[2]
デビュー戦用のポスターには自ら武蔵坊弁慶のイラストを描いた。
プロライセンスの実技試験には、50人を超える報道陣が集まり、同日にパシフィコ横浜でデビュー戦を行った。
主にKO勝ちした場合、試合後リング上で歌いあげるパフォーマンスを行なっている。一番好きな歌はT-BOLANの離したくはない。リンク先も参照。
2008年1月27日、都内で車を運転中、追突事故を起こした。その後、この事故に関して大毅は報道陣に「車はぶつけるもんやろ」と発言していたことが分かり、不謹慎であるとして金平桂一郎会長が厳罰を示唆した[3]。
競馬ファンであり、自身の思い入れのある競走馬はダイワスカーレットと言う[4]。また、元プロ野球選手で同じく競馬ファンの大道典嘉や騎手の三浦皇成などと親交がある。
2014年10月4日、6年間交際していた8歳年上の一般人女性と入籍した[5][6]。
2015年11月4日、患っていた左目の網膜剥離のため引退した。手術を3度受けたものの左目の視力は0.1までしか戻っていなかったという[7]。
2016年8月25日、第1子が誕生したことをブログで報告[8]。
来歴