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やノートページでの議論にご協力ください。亀田 和毅基本情報
本名亀田 和毅
通称El Mexicanito
階級フェザー級
身長171cm
リーチ170cm[1][2]
国籍 日本
誕生日 (1991-07-12) 1991年7月12日(32歳)
出身地大阪府大阪市
家族亀田史郎(父)
亀田興毅(兄)
亀田大毅(兄)
亀田姫月(妹)
親戚亀田京之介(従兄弟)
スタイル右ボクサーファイター
プロボクシング戦績
総試合数45
勝ち41
KO勝ち23
敗け4
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亀田 和毅(かめだ ともき、1991年(平成3年)7月12日 - )は、日本の男性プロボクサー。大阪府大阪市西成区天下茶屋出身。元WBO世界バンタム級王者。元WBC世界スーパーバンタム級暫定王者。2022年現在はTMK GYM所属。アローズエンタテインメントとマネジメント契約と結んでいる。トレーナーは以前はイスマエル・サラスが担当していたが、2017年より兄の亀田興毅、2021年からは西山一志、2022年からは武本在樹に代わった[3]。既婚。2児の父。
亀田三兄弟の三男で、亀田興毅・亀田大毅は実兄、亀田姫月は実妹、亀田史郎は実父、亀田京之介は従兄弟。 2005年に兄の亀田興毅の協栄ジムへの移籍に伴い、大阪から東京に転居。東京都葛飾区に本拠地を置いて練習を行っていた。2007年4月からは2人の兄と同様、高校には進学せず2007年5月に行われる全日本実業団選手権でアマチュアデビューし、プロライセンスが取得できる17歳になり次第プロに転向する予定であった。しかし2007年3月7日、「髪型の前髪は眉毛まで、後ろ髪はうなじまでとの規則に違反」「(テレビ番組出演などが)アマ資格に抵触する可能性がある」として、日本アマチュアボクシング連盟(JABF)ルールに則り、アマチュアのリングに上がれない可能性がある旨を、日本アマチュアボクシング連盟が亀田側に通達したとの報道があった[4]。これに対し、和毅は「勝ち続けることで特例で北京五輪に出たる」と語ったが、父親でありトレーナーの亀田史郎は「違反のルールも曖昧。頭髪も社会人らしくないとムチャクチャ言いよる」「好き嫌いで亀田を排除しようとしているとしか思えん」とコメント。和毅を日本国外でデビューさせる意向を示した[5]。2007年3月14日、天下茶屋中学校を卒業[6]。 2008年の北京オリンピックボクシング競技を目指していたが、予選の段階で17歳以上という年齢制限があったため、この資格を満たさない和毅の出場は不可能となった。 メキシコ武者修行に旅立った和毅は2007年8月10日、メキシコのパンチョロサレスジムにて、WBCミニマム級25位のホブ・ソラーノとスパーリングしたが苦戦しリングを降りた。9月8日、メキシコで行われたアマチュア大会グアンテス・デ・オロ、バンタム級リーグ戦(少年の部)の3戦目で、ギゼルモ・トレロと対戦。判定負けの裁定を受けたが再審議が行われ、無効試合となった。同4戦目では、エクトル・モラレスに判定負けをしたが、この試合もまた疑惑の判定として無効試合とされている。この大会では亀田の試合以外でも疑惑の判定が多く、大会運営側が審判団と協議し数試合の判定を無効とする採決が下された。結果、決勝まで勝ち進むものの、レイ・バルガスに判定負けで優勝はならなかった。 この大会途中で一旦帰国した和毅に対し、日本のメディアは、「土つかずの4連勝」「無敗の遠征凱旋」「相手を圧倒」などと報じたほか、参加大会を「ゴールデングローブ」としていた(「グアンテス・デ・オロ」はスペイン語で「金の手袋」、英語で「ゴールデングローブ」の意味)。 2008年11月21日、メキシコでプロデビュー戦を行い、アレハンドロ・モレノ(メキシコ)と対戦し、2R2分8秒KO勝ちを収めた。当初のニックネームは「エルメヒカニート」 2008年12月8日、国内デビュー戦を行い、アドリアン・ラミレス(メキシコ)と対戦し、2R1分33秒KO勝ちを収めた。 2009年5月30日、初の日本人選手との対戦となった雲林龍広(勝又)に4回42秒TKO勝ちを収めた[7]。 2009年9月5日、長兄・興毅の前座試合でヘスス・ペリバン(メキシコ)と対戦し、3回2分TKO勝ちを収め、デビュー以来10連勝となった[8]。 2010年1月16日、メキシコ・ゴメスパラシオで空位のFECARBOXバンタム級王座をロドルフォ・ガライ(メキシコ)と争い、2Rに続けて3Rにもダウンを奪い、この回KO勝利を収めて同王座を獲得した[9]。 2010年4月30日、メキシコ・マサトランでナルシソ・ララ(メキシコ)と対戦し、3R1分36秒TKO勝ちを収め王座の初防衛に成功した。 2010年5月29日、メキシコ・グアダラハラで空位のCABOFEバンタム級王座をハビエル・ロドリゲス(メキシコ)と争い、3-0(99-91、98-92が2者)の判定勝利で王座を獲得した[10]。 2010年7月10日、メキシコ・グアダラハラで空位のWBCユース・インターコンチネンタルスーパーバンタム級王座決定戦でアルツロ・カマルゴ(メキシコ)と対戦し、3-0の判定勝ちで王座を獲得した[11]。 2010年8月28日、メキシコ・マサトランでWBC世界バンタム級ユース王者シュテファーヌ・ジャモエ(ベルギー)に挑戦。10回を戦い抜き、10回1-1(96-95、96-96、95-96)の三者三様引き分けとなったものの、採点の集計ミスがあったとして10回2-1(2者が96-95、95-96)の判定勝ちに変更され、王座を獲得した[12]。 2010年12月26日、1年1か月ぶりの日本のリングとなった兄2人によるダブル世界戦の前座試合で、タイ・バンタム級10位ピチッチャイ・ツインジム(タイ)と対戦し、5度のダウンを奪った上で3R2分12秒TKO勝ち。プロデビュー以来17連勝となった[13]。 2011年2月19日、メキシコ・プエルトバジャルタで空位のNABF北米バンタム級王座をヘルマン・メラス(メキシコ)と争い、初の12回戦を戦い抜き、3-0(119-109が2者、119-110)大差判定で5冠目となる王座を獲得した[14]。
来歴
日本でのアマチュアデビュー断念
メキシコ武者修行へ
プロボクシング
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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