亀田史郎
[Wikipedia|▼Menu]

亀田 史郎
YouTube
チャンネル

亀田史郎チャンネル


活動期間2018年1月31日 -
ジャンルエンターテイメント料理グルメ
登録者数51.4万人
総再生回数177,506,138 回
YouTube Creator Awards

登録者100,000人2018

チャンネル登録者数・総再生回数は
000000002021-10-30-00002021年10月30日時点。
テンプレートを表示

亀田 史郎(かめだ しろう、1965年(昭和40年)5月22日 - )は、日本のボクシングトレーナーYouTuber血液型はB型。身長170cm。

息子は亀田興毅(長男)・亀田大毅(次男)・亀田和毅(三男)、娘は亀田姫月、甥は亀田京之介
略歴

兵庫県姫路市飾磨区妻鹿生まれ、大阪府大阪市西成区天下茶屋育ち。現在は大阪府大阪市西成区在住。小学校時代のクラスメイトに柏原芳恵がいる。

プロボクサーを目指し、新日本大阪ジムに通い、中学卒業後に正式に入門。だが、同時に就いた解体業の孫請けとの両立が不可能として、一度もプロテストを受けることなく断念する。

20歳の時、1歳年上の女性と結婚(教育方針をめぐり2003年に離婚)。子供達に自分の果たせなかった夢を託し[1]、幼い頃からボクシング、空手などの格闘技の道を歩ませた。一部のマスコミ(特にTBSデイリースポーツ)が父親と三兄弟に注目し、報道を行ったことから一般的に知られるようになる。

トレーナーとして亀田三兄弟を指導してきたが、2007年10月11日、次男の大毅が初めての日本人相手となる内藤大助戦で反則行為を繰り返し、亀田家ではプロ転向後初めて黒星を喫した。一連の反則行為でセコンドにいた史郎と長男・興毅が反則を指示していたとして日本中から批判を受けることになり、セコンドライセンスの無期限停止を受ける。

2009年10月19日、日本ボクシングコミッション(以下JBC)にライセンス再交付を求める嘆願書を提出した[2]

2010年3月には東日本ボクシング協会が処分解除を求める署名をJBCに提出した[3]が差し戻され[4]4月13日にポンサクレック戦後の発言(後述)をめぐってJBCより資格取り消し処分を受けた[5][6]

2013年8月1日、フィリピンで行われた三男・和毅の試合にセコンドとして帯同。史郎は2007年にJBCからセコンドライセンスの無期限停止を受けているが、フィリピンはJBCの管轄外であるため史郎のセコンド復帰は叶った[7][8]。12月の負けても王座保持問題に絡み、JBCは亀田ジムの吉井慎次会長と嶋聡マネジャーのライセンス更新を認めないことを2014年4月に発表し、亀田ジムの国内活動が事実上停止された。その際に「ライセンスを有しない人物が実質的なクラブオーナーであり、プロモーターであることを物語っている」と指摘した上で、亀田三兄弟の国内活動再開には「ライセンスを有していない人物の影響力を完全に排除するなどしないとライセンスは与えることはできない」としている。

2017年12月31日放送の日本テレビの年越し番組絶対に笑ってはいけないアメリカンポリス24時!』に出演。番組内のコーナー・出演OKダービーのVTRでレイザーラモンHGのマネで出演オファーを受けると当初は「自分のイメージが崩れる」と否定したが最終的には快諾し、ダウンタウンココリコ月亭方正の前でHGの姿を披露した。この出演に関しては翌年2018年7月12日放送の『ダウンタウンDX』にゲストで出演した際に「正直断った。でも、(息子の)興毅が出ろと。『俺も世界戦をした。これが親父の世界マッチや』って…」と説得されて出演を決めたことを明かした[9]

2018年1月31日より、娘の姫月YouTuberとして活動を開始。

2023年7月、トレーナーライセンスの交付を受ける。エディオンアリーナ大阪で開催の「3150FIGHT」で国内では約16年ぶりとなる現場復帰[10]。現在は大毅が会長を務めるKWORLD3ジムのトレーナー[11]
人物

亀田三兄弟の父として広く知られているが、史郎自身も三兄弟の三男であり「元祖亀田三兄弟」と呼ばれている(次兄の長男が京之介)。

煙草が嫌い。

自身の
離婚、息子のボクシングのスランプといったことが重なった時期、過酷な練習に「ボクシングをやめたい」という息子には「お前がボクシングをやめたら、亀田家は食べて行けん!」と当時自分が働いていた解体現場で兄弟に銅線を拾わせて生活費にしていた。(自伝より)

教育については独自の考えがあるが、三男の和毅を中学生時代には登校させていなかった。義務教育が終わっている興毅や大毅の合宿に平日で通常であれば学校に行っているはずの当時中学生の和毅までも合宿に参加している様子が報じられている[12]

合宿には報道関係者が取材で同行するが、カメラマンが気遣って和毅のみを構図から外そうとしても史郎は三兄弟を並ばせることが多かった。練習内容を報道しても和毅が学校に行かずに合宿に同行している件には全く触れず、和毅の不登校を取り上げるのは一部週刊誌のみだった。


史郎の指導法を支持する渡部信宣が、リングネームを「牛若丸あきべぇ」に変えて、一時期弟子入りしていた。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:36 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef