亀戸天神社
[Wikipedia|▼Menu]

亀戸天神社


拝殿
所在地東京都江東区亀戸3丁目6番1号[1]
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度42分11.3秒 東経139度49分15.6秒 / 北緯35.703139度 東経139.821000度 / 35.703139; 139.821000座標: 北緯35度42分11.3秒 東経139度49分15.6秒 / 北緯35.703139度 東経139.821000度 / 35.703139; 139.821000
主祭神天満大神[1][2]
天菩日命[1][2]
社格等旧府社
創建寛文元年(1661年)[注釈 1]
例祭8月25日[1]
地図.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}亀戸天神社
テンプレートを表示

亀戸天神社(かめいどてんじんしゃ)は、東京都江東区亀戸にある神社天満宮)である。天満大神、すなわち菅原道真を祀り、受験生などを中心に学問の神として親しまれている。通称は亀戸天神、亀戸天満宮または東宰府天満宮。
祭神

天満大神(菅公、菅原道真

天菩日命(菅原家の祖神)

歴史

正保年間(1644年 - 1647年)、菅原道真の末裔であった九州の太宰府天満宮の神官、菅原大鳥居信祐は、天神信仰を広めるため社殿建立の志をもち、諸国を巡った。そして1661年寛文元年)、江戸の本所亀戸村にたどり着き、元々あった天神の小祠に道真ゆかりの飛梅で彫った天神像を奉祀したのが始まりとされる。

当時、明暦の大火による被害からの復興を目指す江戸幕府は復興開発事業の地として本所の町をさだめ、四代将軍徳川家綱はその鎮守神として祀るよう現在の社地を寄進した。そして1662年(寛文2年)、地形を初め社殿楼門回廊・心字池・太鼓橋などが太宰府天満宮に倣い造営された。本殿の扁額は、御本社である筑紫国太宰府天満宮宮司であった西高辻信貞による揮毫

古くは総本社に当たる太宰府天満宮に対して東の宰府として「東宰府天満宮」、あるいは「亀戸宰府天満宮」「本所宰府天満宮」と称されていたが、1873年明治6年)に府社となり亀戸神社、1936年昭和11年)に現在の亀戸天神社となった。「亀戸神社の藤と葛餅」亀戸天満宮は、寛文2年(1662)、大宰府の神官大鳥居信祐が、菅原道真の像を小祠に祀り、翌年、大宰府に模した社殿を造営したのがその起こり。明治6年(1873)、亀戸神社と、昭和11年(1936)、亀戸天神社と改めた。学問の神様として信仰を集め、藤と梅の名所で知られ、『名所江戸百景』(安藤広重画 1856 - 58年版 大判錦絵118枚揃)にも描かれた古刹である。亀戸の名物、葛餅は屋台売りの他に、文化2年(1805)に天神社参道にて創業した船橋屋が人気を集め、その葛餅は亀戸餅とも呼ばれた。葛餅と藤の絵あり。「名代 久壽餅」と記された紙片の一部が書き写されている。『世渡風俗圖會』では、屋台売りの「亀戸名物葛餅」が描かれている。 ? 清水晴風著『東京名物百人一首』明治40年8月「亀戸神社の藤と葛餅」より抜粋[3]

2010年から2011年にかけて放送された『ゆく年くる年』(NHK総合)ではキーステーション(メイン中継地)に選ばれている。
主な祭事
うそ替え神事

例年1月24日 - 25日。縁起物である木彫りの鷽ウソ)が授与される。「去年の悪(あ)しきはうそ()となり、まことの吉にとり(鳥)替えん」との言い伝えによる。

木彫りの鷽は、高さ5 - 22cmくらい、白木の円柱に上部3分の1位が荒削りされ、頭部と腹部となり、背後は削り掛けの手法で尾羽が切り込まれる。彩色は頭が黒、胸は朱、背の羽は緑と黒である。
梅まつり

亀戸天神の境内には、道真が好んだ梅が300本以上植えられている。さらに境内の本殿前には、道真公が5歳で詠まれた「美しや紅の色なる梅の花あこが顔にもつけたくぞある」という歌碑と銅像がある。

なお、梅祭りは例年2月第2日曜日から3月第2日曜日まで行われる。
藤まつり

4月25日から5月5日まで。境内の藤が一斉に開花し、神社中が一面藤色に染まる。太鼓橋の上から見渡すことで、一面の藤棚を上から見下ろすことができることも特徴。江戸時代から亀戸の藤と呼ばれた藤の名所であり、亀戸以外からも観光客が訪れる。同時に学業講祭も行われ、学業祈願の祈願者も多く訪れる。
例大祭・献灯明

例年8月下旬に催される。年間を通じて一番重要なお祭りで、 氏氏の家々にはご祭神提灯が掲げられ、神輿と曳太鼓が町内を練り歩きながら巡行する。 例大祭では、氏子、町内にとどまらず国の安泰と繁栄を祈願し、宮司が祝詞を上げる。 又、4年に一度の大祭には菅公の御霊を乗せた御鳳鎌輦が氏子町内を巡行する。

献灯明では、夜の境内に、神前から分けられた1,000個以上の灯明が灯る。灯明の灯りは、道真公をお守りしていることを表している。藤まつり(2009年4月29日撮影)


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:42 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef