かめやま ちひろ
亀山 千広
生誕 (1956-06-15) 1956年6月15日(67歳)
静岡県三島市
出身校早稲田大学政治経済学部政治学科[1]
職業フジテレビジョン代表取締役社長(2013年 - 2017年)
BSフジ代表取締役社長(2017年 - )
テンプレートを表示
亀山 千広(かめやま ちひろ、1956年(昭和31年)6月15日 - )は、日本のテレビドラマプロデューサー、株式会社BSフジ代表取締役社長。
フジテレビジョン代表取締役社長、フジHD取締役を歴任した。 静岡県三島市出身。静岡県立韮山高等学校を経て[2]、早稲田大学政治経済学部政治学科を卒業[1]。 早大在学中に三島在住であった映画監督五所平之助(当時日本映画監督協会理事長)の書生を務め、映画製作を経験。五所の助言によりテレビ業界を志す[3]。読売テレビ解説委員を務めた辛坊治郎は、大学の同期で、共に同じ年にフジテレビを受験している。 1980年、フジテレビに入社。同期には『報道2001』元キャスターの黒岩祐治(現神奈川県知事)、『ニュースJAPAN』元キャスターの松本方哉、福島テレビ社長の横山淳、北海道文化放送常務取締役編成局長の本間欧彦、フリーアナウンサーで女優の山村美智、現実業家の坂野尚子らがいた[4]。 入社後すぐに編成部に所属。1983年には映画『南極物語』のキャンペーンでタロとジロの世話係であった[5]。 1986年10月からの『タッチ』第4部(上杉達也3年夏の甲子園編。この時の直属の上司は1980年代にアニメ・テレビドラマなどに多大な影響を及ぼした岡正
略歴
1990年4月にテレビドラマを作る第一制作部(現・ドラマ制作センター)に移り、月9など、テレビドラマのプロデュースを手がける(下記参照)。1994年正月には『あおげば尊し 先生、元気ですか! 一緒に笑って、泣いたあの時を私たちは忘れない たくさんの愛の思い出をありがとう…』の総合プロデューサーを務める。
1997年7月、自らも最終話に出演した『踊る大捜査線』のヒットで編成部に部長として復帰[6][7]。1999年には関連番組である『愛する二人別れる二人』のやらせを黙認していた事が発覚、同番組は打ち切りになっている。2001年10月には編成制作局長に。2002 FIFAワールドカップの日本vsロシア戦の放送権を引き当て[8]、「神の手」ならぬ「亀の手」と呼ばれる。この試合はサッカー日本代表にとって2002 FIFAワールドカップ本戦での初勝利の試合となり、視聴率も平均66.1%、瞬間で81.9%を記録した。
2003年7月、新設された映画事業局の局長に就任。2006年6月には執行役員、2010年6月には取締役、2012年6月には常務取締役とフジ・メディア・ホールディングス取締役に就任[9]。