この記事の出典や参考文献は、一次資料や記事主題の関係者による情報源に頼っています。信頼できる第三者情報源とされる出典の追加が求められています。
出典検索?: "亀和田武"
亀和田 武(かめわだ たけし、1949年〈昭和24年〉1月30日 - )は、日本の雑誌編集者、作家、コラムニスト、キャスターである。
栃木県生まれ。成蹊大学文学部文化学科卒業。通称:カメチャン。 少年時代はアメリカン・ポップス
経歴・人物
少年・学生時代
SFファンでもあり、高校時代から横田順彌、鏡明、川又千秋らがメンバーだった有名なSFファンの集まり「一の日会」に出入りしていた。
二年浪人して1969年、成蹊大学文学部に進学[1]。また、浪人時代に同じ予備校の先輩の山口文憲と知り合う。二浪目は代々木ゼミナールにて、「そば代値上げ反対」の闘争にくわわる[2]。
大学時代はプロ学同の一員として学生運動にかかわる。一年留年して、5年かかって大学を卒業[3]。 1974年の大学卒業後の秋、実話雑誌を刊行している出版社・明文社に入社するが、学生運動の経歴のため半月で解雇される[4]。なお、この会社には『本の雑誌』刊行前の目黒考二もいた[5]。その後、同1974年秋[6]、やはり実話雑誌系の出版社であった檸檬社に移籍し、小谷哲らと三流劇画誌『漫画大快楽』を1975年から1年半ほど編集・刊行する[7]。 1976年には檸檬社の先輩だった小向一実とともに、アリス出版の創業に参加[8]。「学生運動終焉後、全共闘の残党が各雑誌の編集部に集まった」というウリだった「三流劇画ブーム」の際に、1977年創刊の自販機雑誌『劇画アリス』の創刊編集長を務め、その沢田研二に似た容姿から「三流エロ劇画界のジュリー」と呼ばれた。また同誌ではメジャー少年誌出身の吾妻ひでおに『不条理日記』の連載を依頼し、話題を集めた。この間、三流エロ劇画を称揚する文章も多数発表し、石井隆を「青年劇画十年の総決算」と評し[9]、三流劇画ブームを批判した梶井純、権藤晋や山根貞男と論争を展開した[10]。 1979年頃にアリス出版を退社してフリーのコラムニストになる[11]。なお『劇画アリス』は、迷宮の米沢嘉博が編集長となり1年ほど刊行されて、1980年に廃刊[12]。一方で亀和田は『本の雑誌』『噂の真相』などでコラムを発表。その辛辣ぶりで評判となる。 当時は「昭和軽薄体」ブームの渦中であったが、その中で南伸坊の文章を「素人ぶっていて、カマトト的だ」と批判した。また当時、「初期のいかがわしさ」を失っていたタモリを「竹村健一、さだまさしといった、誰がみてもイモである連中を、笑いのターゲットにしても、予定調和にすぎず面白くない」と痛烈に批判した。
三流劇画誌の編集長として
コラムニスト・SF作家として