九鬼村
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くきむら
九鬼村
廃止日1954年6月20日
廃止理由新設合併
北牟婁郡尾鷲町須賀利村、九鬼村、南牟婁郡北輪内村南輪内村尾鷲市
現在の自治体尾鷲市
廃止時点のデータ
日本
地方東海地方近畿地方
都道府県三重県
郡北牟婁郡
市町村コードなし(導入前に廃止)
総人口3,096人
国勢調査1950年
隣接自治体北牟婁郡尾鷲町
南牟婁郡北輪内村
九鬼村役場
所在地三重県北牟婁郡九鬼村九鬼町
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度00分51秒 東経136度15分18秒 / 北緯34.01428度 東経136.25494度 / 34.01428; 136.25494座標: 北緯34度00分51秒 東経136度15分18秒 / 北緯34.01428度 東経136.25494度 / 34.01428; 136.25494
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九鬼村(くきむら)は三重県北牟婁郡にあった。現在の尾鷲市の南東部、紀勢本線九鬼駅の周辺にあたる。
地理

海洋:
熊野灘

山岳:八鬼山、頂山、谷ノ山

岬:九木崎、ナサ崎、橋掛崎

歴史

1889年明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、行野浦・九木浦・早田浦の区域をもって発足[1]。発足時の人口は1,249人[1]

1909年(明治42年)10月18日 - 大字行野浦を尾鷲町に編入。

1954年昭和29年)6月20日 - 尾鷲町・須賀利村南牟婁郡北輪内村南輪内村と合併して尾鷲市が発足。同日九鬼村廃止。

行野浦の分離

行野浦は九木浦と漁場の面で関係が深かったため九鬼村になったが、1900年(明治33年)7月24日に尾鷲水産株式会社と漁場論争になったことで情勢が変化した[2]。紛争は訴訟沙汰になり仲裁人の協力を得て1901年(明治34年)4月5日和解が成立した[3]。この時の和解文書「契約証附属約定書」第1項で証書作成から7年以内に行野浦は九鬼村から分離して尾鷲町に編入すること、第3項で期限内に尾鷲町への編入が行われなければ和解した漁場契約を制限することが規定された[3]。これにしたがって、1909年(明治42年)に行野浦は九鬼村を離れ尾鷲町の一部となったのであった[3]
村名の由来

合併時の中心地であった九木浦にちなむ[1]。村名検討時に九木が旧来は九鬼と表記したこと、九鬼氏の居城跡があったことなどから、「九鬼村」の表記が採用された[1]。3村対等の立場から「三栄村」(みえむら)の名も提案されたが、歴史的な根拠のない名であったため採用されなかった[1]
交通
鉄道路線

現在は旧村域に紀勢本線九鬼駅が所在するが、当時は未開業。
脚注

[脚注の使い方]
^ a b c d e 三重県尾鷲市役所 編 1971, p. 88.
^ 三重県尾鷲市役所 編 1971, p. 88, 95.
^ a b c 三重県尾鷲市役所 編 1971, p. 95.

参考文献

三重県尾鷲市役所 編 編 『尾鷲市史 下巻』三重県尾鷲市役所、1971年5月3日、874頁。 

角川日本地名大辞典 24 三重県

関連項目


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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