九里一平
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くり いっぺい九里 一平
本名吉田 豊治(よしだ とよはる)
生誕 (1940-01-01)
1940年1月1日
日本京都府京都市
死没 (2023-07-01) 2023年7月1日(83歳没)
職業漫画家
アニメ監督
アニメーションプロデューサー
キャラクターデザイナー
公式サイト ⇒一平舎
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九里 一平(くり いっぺい、1940年1月1日 - 2023年7月1日[1])は、日本漫画家アニメ監督アニメーションプロデューサーキャラクターデザイナー。株式会社タツノコプロ第3代社長。京都府京都市出身。本名:吉田豊治(よしだ とよはる)。
来歴・人物

タツノコプロ創業経営者一族の「吉田三兄弟」の三男で、長兄は漫画家・アニメ原作者・タツノコプロ初代社長の吉田竜夫、次兄はアニメプロデューサー・タツノコプロ第2代社長・初代会長の吉田健二

ペンネームの由来は「お前は目がクリクリしているから」と言われ「クリ=九里」とし、さらに「一平」をつけたことによる。

挿絵画家・漫画家として活躍していた竜夫の後を追い上京。当初は挿絵画家志望だったが、竜夫の影響で漫画家を志し、竜夫のアシスタントとして活動した後、赤本の描き下ろし単行本『あばれ天狗』でデビュー。『マッハ三四郎』などの作品で人気を博す。タツノコプロ設立後は、多くのタツノコアニメでプロデューサー・企画・監督などの重責を約40年間にわたって担い続けた。

幼少の頃に進駐軍を見て「日本人でいたくない」という願望を持つ。進駐軍払い下げのアメコミを読み『スーパーマン』に憧れる(九里によると漫画デビュー作は「『スーパーマン』を子供にしたような漫画」である)。こうした原体験からその画風はアメコミ調である。さらに『マッハGoGoGo』など、手がけたアニメの世界観もアメリカ的である[2]

京都美術工芸大学の客員教授も務めた[3]

2023年7月1日に死去し、同月10日に近親者のみによる葬儀が執り行われたことが、19日にタツノコプロより発表された[1]
経歴

1940年、京都市に生まれる。

1958年、京都市立洛陽高等学校(後の
京都市立洛陽工業高等学校→現・京都市立京都工学院高等学校)を中退。挿絵画家を志し、次兄・吉田健二とともに上京。

1959年、赤本の描き下ろし漫画単行本『あばれ天狗』を経て、集英社の「日の丸」に『Zボーイ』を連載し、中央の出版社でデビュー。

1962年、吉田竜夫、吉田健二と3人でアニメーション制作会社「竜の子プロダクション」(タツノコプロ)を設立。

1977年、タツノコプロの子会社・アニメフレンド1990年解散)が設立され、同社の代表取締役に就任。

1987年、吉田健二の社長退任に伴い、タツノコプロの第3代社長に就任。

2005年

7月1日、大手玩具メーカーのタカラによるタツノコプロの子会社化を受けて社長を退任。この時、吉田健二会長も同時に退任、吉田三兄弟がタツノコプロの経営から離れた。

10月、第10回アニメーション神戸賞(神戸市主催)特別賞受賞。


2019年7月29日、10年以上の歳月をかけ、人生最後の描き下ろし伝奇時代劇漫画『暗闇同心 鍔鳴剣屍郎 怨霊斬り』[4]を丸善ジュンク堂書店およびhonto限定で発売。

2023年7月1日、死去[1]。83歳没。奇しくもタツノコプロ社長退任からちょうど18年後の同日だった。

主な作品
漫画

マッハ三四郎(原作:
久米みのる、構成:吉田竜夫)

大空のちかい

紅三四郎

ファイター健

弾丸児


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