九段
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この項目では、東京都千代田区に存在した町名について説明しています。

段位としての九段については「段級位制」をご覧ください。

特に、囲碁棋士における九段については「九段 (囲碁)」をご覧ください。

かつて将棋に存在した、タイトルとしての九段については「十段戦 (将棋)」をご覧ください。

九段
町丁
九段坂から神田方面を望む。左奥にニコライ堂明治大学錦華尋常小学校。昭和初期
都道府県 東京
特別区 千代田区
設置日1933年7月1日
廃止日1966年9月30日
郵便番号(制度未実施)
市外局番03
ナンバープレート品川
ウィキポータル 日本の町・字
ウィキポータル 東京都
ウィキプロジェクト 日本の町・字
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九段(くだん)は、東京都千代田区にかつてあった町名。現在でも地域名として使われている。靖国神社日本武道館千鳥ヶ淵、旧江戸城田安門、清水門、北の丸公園がある。本項目では由来となった九段坂(くだんざか)についても述べる。
歴史

町名の由来となった九段坂は、日本橋川[1]から田安台に向けて続く道が武蔵野段丘を上がるところに、9層の石段と「九段屋敷」という幕府の御用屋敷が造られたことに由来する。道幅も広く急傾斜であったことから、江戸市中でも顕著な下町と山の手の境界であり、坂上からの展望が絶景であることから名所となった。

明治維新以後、坂上の幕府の馬場であった地帯を中心にして東京招魂社(靖国神社)が創建され、帝都東京の祝祭空間として繁栄をみせた[2]。靖国神社の南側(旧富士見町)一帯が歓楽街(花街)として賑わったのに対し、北側には千代田区立九段中等教育学校(旧東京都立九段高等学校)や、和洋九段女子中学校・高等学校暁星学園白百合学園中学校・高等学校三輪田学園中学校・高等学校などの歴史ある学校が数多く存在する文教地帯となっている[3]

関東大震災後の帝都復興計画の中で靖国通りが整備されたことに伴い、沿道地域を番町富士見から分立させて、1933年に九段一から四丁目の町域を定めた[4]。当初は麹町区1947年からは千代田区に属する。

1966年、靖国通りを境にして町域を南北に分割し九段北1-4丁目および九段南1-4丁目となった[5]が、地元の町会は引き続き南北合同で「九段×丁目町会」として活動している。

九段下・九段上(九段坂下・九段坂上)は、行政地名として使用されたことはなく、市電都電の停留所名として親しまれてきた。駅名・バス停のほか、交差点名として採用されている。
地名の由来

「九段坂」による。
町名の変遷

実施後実施年月日実施前(特記なければ各町名ともその一部)
九段一丁目1933年7月1日
飯田町一丁目、飯田町二丁目、飯田町四丁目、左記地域に沿接する官有無番地
九段二丁目富士見町一丁目、富士見町二丁目(全域)、左記地域に沿接する官有無番地


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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