九段会館
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九段会館

情報
旧名称軍人会館
設計者川元良一
施工清水組(現・清水建設[1]
建築主財団法人軍人会館
事業主体帝国在郷軍人会(建設時)
管理運営財団法人軍人会館(戦前・戦中)
一般財団法人日本遺族会(戦後)
構造形式鉄骨鉄筋コンクリート構造
敷地面積6,098.0496 m² ※原表記「1,844.66坪」[1]
建築面積3,113.2397 m² ※原表記「941.755坪」[1]
延床面積14,448.0099 m² ※原表記「4,370.523坪」[1]
階数地下1階、地上4階、塔屋付
高さ軒高64尺(19.39m)[1]
塔屋最高部まで90尺9寸7分(27.57m)[1]
着工1932年(昭和7年)2月
竣工1934年(昭和9年)3月20日
所在地102-0074
東京都千代田区九段南一丁目6番5号
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度41分39.99秒 東経139度45分4.44秒 / 北緯35.6944417度 東経139.7512333度 / 35.6944417; 139.7512333
備考最寄り駅
東京メトロ東西線半蔵門線」・都営新宿線
九段下駅(4番出口より徒歩約1分)
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九段会館(くだんかいかん)は、東京都千代田区九段南に所在した施設。旧称は軍人会館。ホール講堂[注 1]レストラン宿泊施設などを備え、結婚式イベント各種などに使用されていたが、東日本大震災による天井崩落事故の影響で2011年(平成23年)4月に廃業した。

2017年(平成29年)9月に財務省関東財務局が実施した一般競争入札により、東急不動産が落札した[2]。同社は、九段会館の一部を残した上で[3]、地上17階建て(高さ約75m)の複合ビル「九段会館テラス」に建て替え[4]2022年(令和4年)10月1日に再開業した[5]
概要

1928年(昭和3年)11月10日に挙行された昭和天皇即位の礼[6]を記念する「昭和御大礼記念事業」の一環として[注 2][8]、「軍人会館」の名称にて当施設の建造が計画されたのが始まり。在郷軍人会が計画を主導し、同会主催のコンペで選定された設計案[9]を基にした実施設計を経て1932年(昭和7年)に起工、2年余りの歳月を費やして完成させた。完成後は計画の主導役を務めた在郷軍人会が自らの本部を当施設内に設置した[注 3]ほか、戦前・戦中期を通じては主に軍の予備役後備役の訓練、宿泊に供された。

終戦後「財団法人軍人会館」の解散により国有資産とされたが[10][14]連合国軍進駐に伴いGHQ接収され、「アーミーホール」の名称の下、進駐軍宿舎として使用された[15]

進駐軍撤退に伴い接収解除となった後、国は当施設の払い下げを公示、最終的に日本遺族会に対し無償払い下げを行うことになったものの、不動産取得税の納付にも事欠くほどだったという同会の財務状況を鑑みた国は「財団法人日本遺族会に対する国有財産の無償貸付に関する法律」(昭和28年法律第200号)(現在の「一般財団法人日本遺族会に対する国有財産の無償貸付に関する法律(昭和28年法律第200号)」)を別途公布かつ施行[16]、これに基づき同会に対し当施設を無償貸与するに至った[14]。名称も「九段会館」に改められ1957年(昭和32年)に再開業、無償貸与を受けた日本遺族会が宿泊結婚式場・貸しホール等の各事業を運営してきた。しかし、東日本大震災発災時にホールの天井崩落事故で死傷者が出たことから、土地・建物共々日本国政府に返還、廃業に追い込まれた。

屋上には靖国神社分神が祀られている[17]ほか、陸軍大将乃木希典歌碑も建てられている[18]。このうち靖国神社の分神に関しては、戦時中に靖国神社が戦災に見舞われた場合に備えたものであったとされている。
沿革

1928年(昭和3年) - 昭和御大礼記念事業の一環として建設計画が持ち上がる。

1930年(昭和5年)

9月 - 在郷軍人会主催による軍人会館懸賞設計競技(コンペ)の実施を発表[9]

12月15日 - 同競技応募締切[9]

12月26日 - 審査結果発表。小野武雄設計作品が「1等賞」を受賞《のちに川元良一が小野設計作品を基に実施設計着手》[注 4]


1932年(昭和7年)2月 - 着工[1]

1934年(昭和9年)

3月20日 - 竣工[19]

3月25日 - 落成式[19]。在郷軍人会総裁、閑院宮載仁親王林銑十郎陸軍大臣大角岑生海軍大臣が出席。


1936年(昭和11年)2月27日 - 二・二六事件 の勃発をうけ、軍人会館に戒厳司令部が設置される。

1937年(昭和12年)4月3日‐愛新覚羅溥傑嵯峨浩の結婚披露宴が取り行われる。

1945年(昭和20年)9月 - 連合国軍最高司令官総司令部 (GHQ) により接収。以降「アーミーホール」の名称で連合軍の宿舎として使用[15]

1953年(昭和28年)接収解除。8月12日、「財団法人日本遺族会に対する国有財産の無償貸付に関する法律」公布・施行[16]日本遺族会への無償貸与を開始すると共に、施設名称を「九段会館」に変更[14][20]

1957年(昭和32年)

7月9日 - 宿泊・食堂両部門先行開業[14]

10月1日 - 結婚式場・宴会場・ホール各部門も開業し、全面開業となる[14][注 5]


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