九条_(大阪市)
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九条
町丁
茨住吉神社
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.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度40分33.88秒 東経135度28分21.83秒 / 北緯34.6760778度 東経135.4727306度 / 34.6760778; 135.4727306
日本
都道府県 大阪府
市町村 大阪市
西区
町名制定1977年(昭和52年)
面積[1]
 ? 合計0.30538972 km2
人口(2019年(平成31年)3月31日現在)[2]
 ? 合計5,734人
 ? 密度19,000人/km2
等時帯UTC+9 (日本標準時)
郵便番号550-0027[3]
市外局番06(大阪MA[4]
ナンバープレートなにわ

九条(くじょう)は、大阪府大阪市西区の地域名称。または、同地域中部の町名。現行行政地名は九条一丁目から九条三丁目。

本稿ではかつて存在した西成郡九条村(くじょうむら)についても述べる。
地理

現行町名の九条は東は千代崎、南は九条南、西は安治川、北は本田(ほんでん)に隣接し、九条南は東は千代崎、南は境川、西は安治川(町名)、北は九条に隣接する。東をみなと通、中央を中央大通が縦断し、中央大通の九条2交差点付近に九条駅がある。
歴史

くじょうむら
九条村
廃止日
1897年4月1日
廃止理由編入合併
(大阪市第一次市域拡張)
現在の自治体大阪市
廃止時点のデータ
日本
地方近畿地方
都道府県大阪府
西成郡
市町村コードなし(導入前に廃止)
隣接自治体大阪市西区北区
西成郡川南村三軒家村
九条村役場
所在地大阪府西成郡九条村大字九条
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上町台地から西部に位置し、元は淀川の河口に蓋をするような大きな中洲があり、南浦と呼ばれていた。南浦は現在の西区本田・九条・九条南・安治川・境川・川口(旧古川以南)・千代崎の北西部、此花区西九条の大半などに相当する。

1619年元和5年)に南浦の北東端に大坂船手の組屋敷・与力屋敷・同心屋敷が置かれた。1624年寛永元年)には土豪の池山新兵衛の協力を得た幕府役人の香西晢雲によって住宅・墾田開発が計画された。なお、開発主体については米屋弥右衛門など12名との説もある。幕府儒官の林羅山によって衢壌島(くじょうじま)と名付けられたが、1674年延宝2年)の洪水の際に九条家木笏が漂着したことから九条島の表記に改められたとの伝承がある。また、村名も当初は九条島村と呼ばれた。

寛永元年の開発は九条島に近接するもう一つの中洲でも同時並行で行われた。こちらの中州には開発時に四貫文で買い取られたことから四貫島と名付けられたとの伝承があるが、この開発によって九条村の支郷扱いだった中釜村が四貫島村と改称の上、九条村から分離している。

九条島は河流・航行の妨げとなっており、1684年貞享元年)から1687年(貞享4年)にかけて、淀川水系の河川改修を幕府から命じられた河村瑞賢によって安治川の開削工事が行われ、九条島が2つに割られた。以降、安治川左岸が九条村、右岸が西九条村と呼ばれるようになった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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