九六式二十五粍機銃
九六式二十五粍連装機銃と箱形弾倉。
種類対空機関砲
原開発国 大日本帝国
運用史
配備期間1936年から1945年
配備先 大日本帝国海軍
関連戦争・紛争第二次世界大戦
開発史
製造業者横須賀海軍工廠造兵部、他[1]
製造期間1936年から1945年[1]
製造数32,380挺[1]
派生型二連装(原型)、三連装、単装
諸元
重量
単装(三型)250 kg[2]
連装(一型)1,290 kg[3]
連装(二型)1,650 kg[3]
三連装(二型)2,828 kg[4]
銃身長1,500 mm[5]
要員数1名(単装)、5名(二連装)、9名(三連装)ほか給弾員が補助に当たった。
砲弾通常弾、曳光弾、曳光弾改一、曳光弾改二、曳光通常弾、曳光通常弾改一、曳光通常弾改二、焼夷通常弾、曳光通常弾二型、演習弾[6]
口径25×163 mm[1]
作動方式
九六式二十五粍機銃(きゅうろくしきにじゅうごミリきじゅう)は、第二次世界大戦中に日本海軍で使用された対空機銃である。 1930年代前半、フランス軍は対空機関銃の必要性を表明し、それに応えて、オチキス社は25 mm機関砲を開発した。しかし発射速度が遅すぎるとして、フランス軍に採用を拒否されたため、本銃は輸出に回されることになった。72挺がルーマニアに引き渡され、スペイン共和国海軍にも艦艇用に5挺が引き渡された。結局、本銃の最大のユーザーは、ライセンスを購入して大量生産した日本(だけ)であった。 1938年に国際情勢が悪化すると、本命であるシュナイダー37 mm機関砲の生産準備がまだできていなかったため、フランス軍でも本銃の改良型を採用することになった。しかし、1940年5月にドイツ軍がフランスに侵攻してきた時、わずか数百挺のオチキス機関銃と200挺のエリコン20 mm機関銃がフランス軍で使用されていただけであった。対空機関銃の欠如はフランス軍の防衛行動の大きな妨げとなった。オチキス25 mm対空機関銃 1939年型
概要
本銃が採用される以前には九二式七粍七単装機銃、毘式四十粍機銃がイギリスなど外国から導入されていたが、弾道特性の悪さ、動作不良、また威力の面からこれらの機銃の評価は低かった[11]。