乙女チックラブコメ
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乙女チックラブコメ(おとめチックラブコメ)は、1970年代から1980年代までの日本少女漫画で、少女趣味的でロマンチックな恋愛漫画の一群、乙女チック・ラブコメディーを略した通称。乙女チックロマコメ(ロマンチックコメディー)、乙女チックラブロマ(ラブロマンス)、おとめちっくマンガといった呼び方もある。

中心イメージ的には、軽く柔らかいデザイン的線の絵柄と、自己肯定感のある日常的世界観とが一体となったセンスをもつ。または匂わせる。

特に『りぼん』(集英社)誌上で活躍した陸奥A子田渕由美子太刀掛秀子の3作家に人気があった。当初は陸奥A子のキャッチコピーに「乙女ちっく」の語が用いられたものが、その後田渕、太刀掛らの総称にも使われるようになる。『りぼん』側もこのネーミング(誌上では「おとめちっく」とひらがなで書かれることが多かった)を積極的に作品イメージの押し出しに用いていた。アイビーまんがという呼び方もされた。
作家と作品

1970年頃の里中満智子一条ゆかり池田理代子萩尾望都らのドラマチックなストーリーの漫画に対し、『りぼん』で1970年に田渕由美子、1972年に陸奥A子がデビューし、柔らかいタッチの絵柄で、アイビー風のファッションや、日常的な会話、小物などを取り入れた、読者である少女達と等身大の感性が表された恋愛漫画を描き、徐々に人気を集めた。陸奥A子は1974年「たそがれ時に見つけたの」、田渕由美子は1975年「マルメロ・ジャムをひとすくい」などで特色を現す。太刀掛秀子は1973年にデビュー、コメディー要素はさほど多くなく、1975年「P.M.3:15 ラブ・ポエム」などが人気となる。他に1972年デビューの篠崎まこと、佐藤真樹らもこの路線で活躍。それぞれ1980年代前半頃まで同誌の人気作家として活動した。続いて、小椋冬美高橋由佳利なども同路線でデビューするが、徐々に独自の個性を発揮していった。これらの作品は読者に支持される一方で、内気、ドジ、容姿のコンプレックスなどの性格を持ちながら、男の子に好きだと言われるという自己肯定的な展開、また編み物、手作りお菓子、洋風の出窓といった小物類、眼鏡を外すと美形、白馬の王子様が現れるのを信じている、登校中の曲がり角で転校生と衝突といったお決まりのギャグなどの、ステロタイプ化されたイメージも育てていった。

『りぼん』誌上でこうした作品が人気を得たのは、同誌がふろく付き雑誌であったことが大きい。各号につけられるふろくにおいて、陸奥・田渕・太刀掛たちは、ふろくのイラストとして、作品のキャラクターとは別の、人物画や風景画を作画していた。大塚英志は著書(参考文献(1))や、田渕作品の文庫本の解説のなかで、これらのイラストによって喚起される風景は、1980年代の消費社会を予告したものだと述べている。

『りぼん』以外の雑誌でのこの傾向の作品としては、大島弓子が『少女コミック』(小学館)で1975年「いちご物語」、『月刊セブンティーン』(集英社)で1977年「バナナブレッドのプディング」などを発表。『週刊マーガレット』(同)では岩館真理子、『別冊マーガレット』(同)ではくらもちふさこなどが活躍。『りぼん』と近い年代を読者層とする『なかよし』(講談社)にはたかなししずえなどがいたが、全体には少ない。少年的な主人公でありながら同様の自己肯定性を持つ高橋亮子「つらいぜ!ボクちゃん」(1974年)も『少女コミック』で人気があった。

同時期の『りぼん』ではラブコメディーとして、弓月光金子節子山本優子、坂東江利子らも人気作家だったが、乙女チック路線とは見なされていない。また『りぼん』出身で同じように柔らかな絵柄のしらいしあいは、少女のリアルな性を扱った作品を『セブンティーン』で発表し、一世を風靡した。
発生の背景

これらのマンガは、1960年代の反体制的要素を持つサブカルチャーを、それより若い世代が私的な世界に読み替えた若者・少女文化の一端ともとらえられ、1969年「おくさまは18歳」による「かわいい」の表層化に続き、1970年創刊の雑誌『an・an』や、1960年代後半からのサンリオショップを始めとしたファンシーグッズ、1973年創刊の『詩とメルヘン』などのイラストポエム、まる文字の発生などの流れの中で、音楽においては荒井由実などによる私的世界を歌ったニューミュージックの発生と並行したものとされる(参考文献(5))。


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