乙坂智
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乙坂 智ユカタン・ライオンズ #6
横浜DeNAベイスターズ時代
(2017年10月24日、マツダスタジアムにて)
基本情報
国籍 日本
出身地神奈川県横浜市栄区
生年月日 (1994-01-06) 1994年1月6日(30歳)
身長
体重5' 11" =約180.3 cm
182 lb =約82.6 kg
選手情報
投球・打席右投左打
ポジション外野手
プロ入り2011年 ドラフト5位
初出場2014年5月26日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)


横浜高等学校

横浜DeNAベイスターズ (2012 - 2021)

メキシコシティ・レッドデビルズ (2022)

レオン・ブラボーズ (2022)

サルティーヨ・サラペメーカーズ (2022)

ヨーク・レボリューション (2023)

ユカタン・ライオンズ (2024 - )

派遣歴


ヤキス・デ・オブレゴン (2017, 2018)

ブラボス・デ・マルガリータ (2022、2023)

国際大会
代表チーム 日本
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乙坂 智(おとさか とも、1994年1月6日 - )は、神奈川県横浜市栄区出身のプロ野球選手外野手)。本名は乙坂・ルーセロ・智・ニコラス(おとさか ルーセロ とも ニコラス、英語:Otosaka Rousselot Tomo Nicholas)。リーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボル(メキシカンリーグ)ユカタン・ライオンズ所属。右投左打。愛称は「ニコ」[1]
経歴
プロ入り前

アイスホッケー選手だったアメリカ人の父と、日本人の母との間に出生[2]。小学1年時から野球を始めると、横浜市立庄戸中学校(現在は横浜市立上郷中学校)への進学後に中本牧シニアへ所属した。子どもの頃から横浜スタジアムにもよく通うベイスターズファンで、石井琢朗金城龍彦に憧れていた[3]

2009年横浜高校に入学し、硬式野球部で1年生の秋からレギュラーとなる。なお、同期に近藤健介がいた。1番打者だった2年春には打撃不振に陥り、30打席無安打も記録したが、監督の渡辺元智は乙坂の起用を継続[4]。渡辺の助言に従って広角打法を取り入れると復調し、7番・中堅手として臨んだ夏の県大会では準々決勝で4安打5打点を挙げるなど[5]、準決勝までに27打数14安打の成績を残した[6]。決勝戦では一二三慎太らを擁する東海大相模に敗れたが、再戦した秋の県大会決勝では5打数3安打4打点の活躍でチームも雪辱を果たした[4]

3年春の第83回選抜高等学校野球大会で初戦で敗れると、渡辺に指名され近藤に替わり主将に就任[7]。県大会の2戦目の横浜商業戦でヘッドスライディングをした際に中指を突き指し、渡辺からヘッドスライディングを禁止されるも、チームを鼓舞する為に続けるなど[7]、自分のプレーよりもチームの雰囲気などを重視するようになり、春夏連続となる第93回全国高等学校野球選手権大会への出場を果たしている。本大会では3回戦で青山大紀擁する奈良の智弁学園に敗れたが、9打数4安打と勝負強さを発揮した[2]

2011年のNPBドラフト会議で、横浜ベイスターズから5巡目で指名された。契約金2000万円、年俸480万円(金額は推定)という条件で入団した[8]。背番号は33。
DeNA時代2012年3月4日横浜DeNAベイスターズ総合練習場にて

2012年にはイースタン・リーグ公式戦74試合に出場し、打率.251、13打点、9盗塁。

2013年には6月19日に北海道日本ハムファイターズとのイースタン・リーグ公式戦で、審判への侮辱行為によって退場処分を受け、後日NPBのコミッショナーから厳重注意と罰金5万円の処分を科せられた[9]。この年までは一軍公式戦への出場機会がなかった。

2014年にはイースタン・リーグ公式戦の序盤で4本塁打を記録するほどの好調を買われ[10]、5月26日の対オリックス・バファローズ戦(横浜スタジアム)8回裏に代走で一軍公式戦にデビュー。5月31日の対千葉ロッテマリーンズ戦(QVCマリンフィールド)では、9回表に代打で一軍初打席を迎えると、NPBの一軍公式戦では史上57人目の初打席初本塁打益田直也から記録した[11]。この本塁打で一軍初打点も記録したが、一軍公式戦への出場は通算6試合にとどまった。

2015年には5月4日に東京ヤクルトスワローズとのイースタン・リーグ公式戦(横須賀スタジアム)で打者として一塁へ走り込んだ際に、ヤクルトの一塁手松元ユウイチと交錯。そのまま一塁キャンバスに倒れ込むと意識不明となり、急遽病院へ搬送された。その後は大事に至らず、7月20日にシーズン2度目の出場選手登録。8月は中堅手で先発出場する試合が続いたが、荒波翔が起用されるようになった9月以降は代打・代走・守備要員に転じた。一軍公式戦全体では52試合に出場。右翼・中堅・左翼方向へ本塁打を1本ずつ打ち分けた。

2016年には4月5日に一軍に昇格すると、5月後半までは対戦投手の左右によって右打者の桑原将志と併用された。桑原が正中堅手に定着した6月以降は、主に代打で起用。代打では、4月22日の対読売ジャイアンツ戦(東京ドーム)9回表にクローザー澤村拓一から同点本塁打を打つなどレギュラーシーズン通算では打率.270を記録した。7月23日に登録を抹消されてからは一軍に復帰できなかったが、ポストシーズン期間中からメキシコで開催された第1回WBSC U-23ワールドカップ日本代表[12]として出場。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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