久里洋二
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久里 洋二(くり ようじ、1928年4月9日[1] - )は、日本のアニメーション作家、イラストレーター絵本作家、洋画家一コマ漫画家としても活動している。本名:栗原 英夫(くりはら ひでお)[1]

2016年以降、クリ ヨウジ、または姓名の間に中黒を入れたクリ・ヨウジの名義を併用して活動している[2]
略歴

福井県今立郡鯖江町(のちの鯖江市)出身[3]。父は軍人。陸軍幼年学校の受験に失敗後、旧制福井県立武生中学校(のちの福井県立武生高等学校)へ入学。中学時代に終戦を迎えた。1947年、京都市美術学校の入学試験に合格するが、父親が公職追放となり、学費の目処が立たなくなったために進学を断念し、郷里で様々な職業について家計を助けた[3][4]。この頃、横山泰三の漫画に心酔し、自身でも雑誌への投稿を重ねるが、一度も採用されなかった[3][4]

横山への憧れが高じ、1950年に横山の住居・鎌倉市に近い藤沢市に移住[4]。藤沢には漫画家の利根義雄がおり、偶然知己を得た久里は、利根の紹介で横山や、演出家の丸尾長顕と知り合う[4]横須賀税務署への勤務[5]を経て、1952年には利根の斡旋で共同通信社の画信室に転職し、写真や漫画などの画像素材を地方紙に販売する業務に従事した[4]。1954年、絵の勉強のために文化学院美術科と学校法人アテネ・フランセに入学[3]し、3年通学。この間に小島功率いる独立漫画派に入会し、雑誌の寄稿で学費を稼いだ[4]ほか、二科展への出品を開始した[3]

1958年、読売新聞社会部の嘱託としてカット製作に従事[3]するかたわら、自身のアトリエ「久里実験漫画工房」を設立し、『久里洋二漫画集』を自費出版[3]。久里は用紙や製本素材選び、印刷業者・製本業者への搬入、配本をすべてひとりで行った[4]。久里は同作で第4回文藝春秋漫画賞を受賞した。

1960年、「久里実験漫画工房映画部」を設立し、アニメーションの自主制作を開始[3]。映画祭への出品や、テレビ番組・テレビCMなどへの提供を数多く行い、多数の賞を受賞した(後述)。1971年には日本アニメーション協会の設立メンバーとなる[6]

2010年、郷里・鯖江市の郷土博物館「まなべの館」の名誉館長に就任した[6]。久里は同館にアニメーション作品の映像資料および油彩画・アクリル画を寄贈している[7]
受賞歴

絵画

1958年 二科展特選(油彩画『鎌倉カーニバル』)
[6]


漫画

1950年 朝日広告賞第2部 佳作

1958年 第4回文藝春秋漫画賞(『久里洋二傑作集』)[4]

2017年 第46回日本漫画家協会賞大賞カーツーン部門(『クレージーマンガ』) - 「クリ・ヨウジ」名義[8]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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