久美浜湾
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久美浜湾

所在地 日本
京都府京丹後市
面積7.18[1] km2
周囲長28 km
最大水深20.6 m
水面の標高0 m
成因海跡湖
淡水・汽水汽水
湖沼型中栄養湖
透明度1.2[2] m
プロジェクト 地形
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久美浜湾付近の空中写真。1976年撮影の12枚を合成作成。
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。.mw-parser-output .mapframe-multi-container>label:first-of-type{clear:both}.mw-parser-output .mapframe-multi-container a.mw-kartographer-container.floatright,.mw-parser-output .mapframe-multi-container a.mw-kartographer-container.floatleft,.mw-parser-output .mapframe-multi-container div.mw-kartographer-container.tright,.mw-parser-output .mapframe-multi-container div.mw-kartographer-container.tleft{padding:0 0 0 0;margin:0 0 0 0}Show 久美浜湾周辺Show 中域地図Show 広域地図府西部日本海側、兵庫県境近くに位置する。

久美浜湾(くみはまわん)は、京都府京丹後市日本海沿いに広がる潟湖(せきこ)。日本海に面しており、山陰海岸国立公園に含まれている。景勝地としてよく知られ、「久美浜湾と甲山遠望」は、1971年(昭和46年)に京都府が企画し京都在住の日本画家12名に府内の名勝を描かせた「京の百景」にも選出され、樋口辰志によって描かれ、1973年(昭和48年)京都市内で開催された展覧会に出品された[3]
地理

と称しているが、小天橋と呼ばれる砂州によって日本海と隔てられている汽水性の潟湖である。小天橋は3河川から流出する土砂から成り、寝殿造の池の形に似ていると言われる自然美を形作っている[4]。久美浜湾と日本海の間には、1913年大正2年)に人工的に開削された、幅30mの水戸口と呼ばれる運河状の細い水路が通じている。閉鎖性が高いことから内湾と外海の水の交流が悪く、川から流れ込む水により水質悪化が進み[5]、さらに川から淡水の流入があるため、湾内は年々淡水化している。潮流を改善し、漁場を清浄化するため、1972年昭和47年)から水路の拡張開削工事などが行われた[6]

東から佐濃谷川(約19km)、川上谷川(約10km)、久美谷川(約4.5km)の3河川が久美浜湾に注いでおり、いずれも周囲に小規模な平野を形成しているが、それぞれ全長4-20kmの小河川で水量が少ないため、農地の灌漑などに利用されているのみである[7]。西岸からは河岸段丘である大明神岬が半島のような形で突き出し、東南岸にある兜山と西北岸にある如意寺岳は山姿の良さから久美浜湾のシンボルとなっている。

運河状の水戸口

佐濃谷川

川上谷川

久美谷川

自然

一帯は1961年(昭和36年)に山陰海岸国定公園に指定され、1963年(昭和38年)に国立公園に昇格指定された。久美浜湾は国立公園の東の端に位置し、山が海に迫って岩石海岸が続く他の部分とは異なり、久美浜湾に面した日本海沿岸には白砂の砂浜や砂丘が形成されている[8]。2008年(平成20年)には「久美浜湾のカキ養殖」が京都府選定文化的景観に選定された[9]。2010年(平成22年)には京都(京丹後市)・兵庫・鳥取の3県にまたがる山陰海岸が、国際的に貴重な地形や地質のある自然公園「世界ジオパーク」に認定された[10]。日本海に面して約6kmに渡って砂浜が続いている。

久美浜湾は京都府内で唯一のオオハクチョウの定期的な飛来地である[11]。オオハクチョウは11月初旬から12月初旬にかけてシベリアから飛来し、神崎地区沿岸部で越冬した後、2月から3月にシベリアに飛び立つ。1982年には過去最多の54羽が飛来したが、2000年代には年間1、2羽まで減少した[11]
産業
水産業
海面漁業
カキの養殖は1896年明治29年)に初めて試みられていたが、1950年代前半の久美浜湾開発研究調査で養殖に力を入れることになり、1960年(昭和35年)頃には久美浜町の主要な産業のひとつとなった[12]。現在では湾内の4カ所に300基ほど[13]の養殖用筏が並び、12月から3月のシーズン中に約100トンのカキが水揚げされる[14]。1953年(昭和28年)には真珠の養殖も試みられたが、気象条件などにより生産量が安定しなかったため、開始後わずか10年ほどで廃れた[15]。1960年(昭和35年)にはハマチの養殖が開始され、昭和40年代には養殖尾数が年間3万尾に達した[16]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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