久米田寺
大門と金堂
所在地大阪府岸和田市池尻町934
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度27分33.8秒 東経135度24分42.3秒 / 北緯34.459389度 東経135.411750度 / 34.459389; 135.411750
久米田寺(くめだでら)は、大阪府岸和田市にある高野山真言宗の準別格本山の寺院。山号は龍臥山。本尊は釈迦如来。行基ゆかりの寺院である。 行基が開削指導したため池のひとつである久米田池を維持管理するため、天平10年(738年)に行基によって創建されたと伝えられる。当時の寺域は下記の古記の記述の通り、かなりの規模であったと推測される。これが院号「隆池院」の由来である。 「 東は角河の流れ、春木の峯ならびに上の津川の東峯、七層の峯を限り、南は葛城の横峯、西は松村の登路ならびに延年ヶ峯・八坂切上を、そして北は熊野詣大通を限りに、この四至内の田畑地利を挙げて仏聖の灯油重僧のころ依怙となさしむ」 平安時代になると奈良興福寺一乗院の支配下にあった。鎌倉時代、承久の乱により武士が乱入し荒廃したが、鎌倉時代中期になって安東蓮聖により再興された。 南北朝時代には天皇、皇族の帰依も深く、楠木正成とも密接な関係を持ち、手厚い保護が与えられたが、戦乱によって当寺も寺領を脅かされる事が多かった。室町時代になると、足利尊氏・直義兄弟により全国に設けられた安国寺のひとつに指定された。 戦国時代、永禄5年(1562年)3月に三好実休と畠山高政が戦った久米田の戦いや、織田信長による高屋城の戦いの兵火等によりほぼ焼失した。しかし、江戸時代の延宝2年(1674年)に復興する。宝暦年間(1751年 - 1763年)に修理、明和7年(1770年)に本堂の再建、1919年(大正8年)には本堂の大修繕を行うなどして今に至る。現在塔頭は5院ある。 桜の季節には花見の名所となる。毎年4月21日には、縁日が出て、「21日のおだいっさん」と親しまれている。
歴史
境内
金堂(本堂) - 明和7年(1770年)再建。扁額「隆池院」は松平定信の筆。
多宝塔 - 2003年(平成15年)再建。
四国八十八箇所石仏群
聖天堂 - 嘉永7年(1854年)建立。
開山堂(行基堂) - 文政5年(1822年)再建。
宝蔵
観音堂 - 享和3年(1803年)再建。
鐘楼
大師堂 - 文政7年(1824年)再建。
白髭稲荷大明神
五大院 - 塔頭。
池尻鎮守社・白龍弁才天
多聞院 - 塔頭。