久米島町
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出典検索?: "久米島町" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2014年3月)

くめじまちょう 
久米島町
イーフビーチ


久米島町旗久米島町章

日本
地方九州地方沖縄地方
都道府県沖縄県
島尻郡
市町村コード47361-8
法人番号4000020473618
面積63.65km2

総人口6,904人 [編集]
推計人口、2022年12月1日)
人口密度108人/km2
隣接自治体なし
町の木リュウキュウマツフクギ
町の花クメジマツツジ、久米紅
町の動物クメジマボタル
久米島町役場
町長[編集]桃原秀雄
所在地901-3108
沖縄県島尻郡久米島町字比嘉2870番地
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯26度20分26秒 東経126度48分18秒 / 北緯26.34069度 東経126.80494度 / 26.34069; 126.80494座標: 北緯26度20分26秒 東経126度48分18秒 / 北緯26.34069度 東経126.80494度 / 26.34069; 126.80494
町役場位置

外部リンク公式ウェブサイト

■ ― 市 / ■ ― 町・村

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久米島、奥武島、オーハ島

久米島町(くめじまちょう)は、沖縄県島尻郡。沖縄県で5番目に大きい島である久米島及びその周辺にある奥武島オーハ島鳥島と、沖縄県最北の島である硫黄鳥島とを行政区画とする。

2002年4月1日具志川村仲里村が合併して発足。サトウキビ農業やダイビングスポットとしての観光産業が盛んであるほか、海洋深層水を利用した保養施設の建設、食品の開発などを進めている。2005年からは久米島町営仲里野球場2006年からは久米島野球場が2球場とも日本プロ野球の球団である東北楽天ゴールデンイーグルスのキャンプ地となった。
地理

沖縄本島の西側にある。久米島を中心に、奥武島、オーハ島、一着島、「鳥島射爆撃場」のある鳥島などの小島と、硫黄鳥島(鳥島)もその行政区分に加わる。

島の区分では高島に属し、島の北側に宇江城山系、南側にアーラ山系が連なる。水系は豊かで、宇江城山系に水源をもつ白瀬川などがある。
人口


久米島町と全国の年齢別人口分布(2005年)久米島町の年齢・男女別人口分布(2005年)
■紫色 ― 久米島町
■緑色 ― 日本全国■青色 ― 男性
■赤色 ― 女性

久米島町(に相当する地域)の人口の推移
総務省統計局 国勢調査より



歴史
先史-原史時代

下地原洞穴遺跡で1.5-1.6万年前の乳幼児の人骨(下地原洞人)が見つかっており、旧石器時代にヒトが生活していたことは分かるが文化的な様相は明らかでない。

日本本土では縄文時代にあたる時期(貝塚時代早期-中期)は縄文時代後期(貝塚時代前期)から、通称「大原砂丘」一帯と、旧具志川村の北西海岸の台地上一帯に遺跡群が形成される。

本土の弥生時代から古墳時代(貝塚時代後期前半)は砂丘上に遺跡が形成される。特にこの時期は九州との交易が確認され、沖縄諸島全体では40ヶ所の遺跡から弥生土器が出土し、久米島では清水貝塚や北原貝塚から弥生土器が見つかった。また、代の五銖銭が見つかっていて、これは中国から直接もたらされたという意見もある。

古代(貝塚時代後期後半)も砂丘状に遺跡が形成されるが、様相は明らかでない。この時期にも代の開元通宝が見つかっており、貨幣として用いられたという意見がある。

グスク時代(12-15・16世紀)には久米島でも山間部などにグスクが築かれる。代表的なグスクは宇江城グスク、具志川グスクがあり、いずれ琉球王国による統一で廃城となった。これらのグスクからは中国や東南アジアの陶磁器が見つかっている。近年、久米島東部のハテの浜一帯から見つかる12世紀ごろの陶磁器が、当時の交易ルートなどを知る上で注目される。
主な先史-原史時代遺跡

北原貝塚:字北原に所在。縄文時代-古代の遺跡。久米島空港ターミナル一帯にあり、3回の発掘調査が行われた。1971年の調査では住居跡や中国文物が見つかった。90年の調査では2つの文化層を確認し、下層は縄文時代後期、上層は古代であった。

大原貝塚:字大原に所在。沖縄県指定史跡。縄文時代後-晩期の遺跡。いくつかの地点に分かれ、人骨や埋葬に関わる遺構などが見つかった。

大原第2貝塚:字大原に所在。弥生時代-古代の遺跡。下層は弥生時代、上層は古代の文化層で、下層の土器はの編年の画期となった。

清水貝塚:字鳥島に所在。古墳時代-古代の遺跡。貝札
(貝符)が層を違えて見つかり、沖縄諸島における貝札(貝符)を考える画期となった。

宇江城グスク・具志川グスク:前者は字宇江城で宇江城岳の山頂、後者は字具志川で海岸部に築かれている。いずれも史跡整備がすすめられ、陶磁器等の遺物、石積みなどの遺構が確認されている。特に具志川城跡では代の染付(青花)が注目されている。

歴史時代 登武那覇城園地

久米島が文献に現れるのは『続日本紀』で、714年に来朝した「球美」人が久米島のこととされる(球美=クミとは琉球方言で「米」を意味し、米所の久米島を指すと考えられる)。そして、1264年に中山への入貢が行われたと記される。

太平洋戦争末期に久米島守備隊住民虐殺事件が起きた。
行政

2002年の合併は、沖縄県における平成の大合併の第1号で、具志川村と仲里村の2村が合併した。庁舎は旧具志川村・仲里村の庁舎をそれぞれ用いる分庁方式を採用している。

町長 桃原秀雄(2022年 - 現職)

地域
旧仲里村域 手前は仲里庁舎のある比嘉集落、奥はイーフビーチホテル

阿嘉(あか)
上阿嘉・下阿嘉の2集落がある。

宇江城(うえぐすく)

宇根(うね)
宇根・真泊の2集落がある。

奥武(おう)
西奥武・東奥武の2集落がある。

島尻(しまじり)

謝名堂(じゃなどう)

銭田(ぜんだ)

比嘉(ひが) メイン庁舎である仲里庁舎(旧仲里村役場)所在地

比屋定(ひやじょう)

真我里(まがり) もとは山城の一部だった。山城や沖縄本島からの入植により人口が増加した。字名は「曲」から「真我利」、「真我里」と変化してきた。

真謝(まじゃ)

山城(やまぐすく)

儀間(ぎま)



旧具志川村域

硫黄鳥島(いおうとりしま) 20世紀初めに住民が久米島に移住し、無人島となった。

上江洲(うえず)
上江洲・久間地の2集落がある。

大田(おおた)

大原(おおはら)

嘉手苅(かでかる)

兼城(かねぐすく)

北原(きたはら) 久米島空港がある

具志川(ぐしかわ)

鳥島(とりしま) かつて硫黄鳥島から移住した住民らでつくった集落

仲地(なかち)

仲泊(なかどまり) 具志川庁舎(旧具志川村役場)所在地

仲村渠(なかんだかり) 国の史跡「具志川城跡」がある

西銘(にしめ)

山里(やまざと)

経済 イーフビーチホテル
産業

主要な産業は観光業と農業である。観光業は、ハテの浜などに代表される美しい海岸と珊瑚礁の海へのダイビングなどを目玉に、県外からの観光客が多く訪れている。観光客向けのイーフビーチホテル、サイプレスリゾート久米島、リゾートホテル久米アイランドなどの宿泊施設も数多く存在する。観光協会も積極的に広報活動をし、積極的な観光客の呼び込みを図っているが、歴史的経緯から難しい局面もあり、本土からの観光客との間でトラブルが起こることもあり得ることから、今後の対応が注目されている。農業は主にサトウキビ・肉牛・キクの栽培が中心である。かつては水田が広がる米所であったが、アメリカの施政下においてサトウキビ栽培の奨励策がとられたことや、復帰後の減反政策により、現在は殆ど栽培されなくなった。

久米島は良い水に恵まれており、泡盛の生産も盛んである。

また、近年では海洋深層水を利用した産業振興が行われており、2000年には沖縄県の海洋深層水研究所が設置され、2004年には海洋深層水を利用した温泉療養施設、バーデハウス久米島がオープンした。([2019年]に老朽化などに伴い閉館)また、海洋深層水から作られた塩・海洋深層水を利用した食品などの開発も盛んである。

久米島の久米仙

久米島製糖

交通
バス

路線バス -
久米島町営バス(一周線・島尻線・空港線の3路線を運行)

観光バス - 久米島交通

船舶

久米商船

那覇港 - 久米島(兼城港) - 渡名喜村


港湾 真泊港

兼城港

真泊港

空港

久米島空港

日本航空(JAL)[1]

東京国際空港[2]


日本トランスオーシャン航空(JTA)

那覇空港


琉球エアーコミューター(RAC)

那覇空港



道路

沖縄県道89号久米島空港真泊線主要地方道

沖縄県道175号兼城港線

沖縄県道242号宇根仲泊線

沖縄県道245号久米島一周線

放送・通信

この節に雑多な内容が羅列されています。事項を箇条書きで列挙しただけの節は、本文として組み入れるか、または整理・除去する必要があります。(2019年2月)


テレビは久米島中継局と町役場仲里庁舎付近の島東部にある久米島東中継局の2箇所に設置されている。

久米島中継局はアナログ放送が琉球放送(RBC)がVHFで、その他はUHFで放送していた。(当初はNHKもVHFだったがEスポによる混信でUHFに変更)。

久米島東中継局はNHKと沖縄テレビ(OTV)のみが設置、放送しており、久米島局のアナログがVHFのRBCと未設置の琉球朝日放送(QAB)は設置されていない(地上デジタル放送はRBC・QABもともに設置)。

地上デジタルテレビジョン放送2007年に久米島中継局、2008年には久米島東中継局でも開始された(久米島東局未設置だったRBC・QABでもデジタル新局として開局した)。


ラジオはNHKFMのみ設置されており(84.2MHz)、AM局は沖縄本島の那覇本局から直接受信している。またFM沖縄那覇本局からの放送エリアに入っているため受信可能。

2012年5月17日に久米島で初のコミュニティFM局となるFM久米島が開局(89.7MHz)。出力はコミュニティFMでは国内最大となる80Wで送信している。

中継局周波数一覧(TVの単位はCH)

所在地
リモコンキーID)総合
(1)教育
(2)RBC
(3)OTV
(8)QAB
(5)
久米島3325303132


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