久津川車塚古墳
墳丘(左に後円部、右に前方部)
所属久津川古墳群
所在地京都府城陽市平川車塚
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度51分53.32秒 東経135度46分44.19秒 / 北緯34.8648111度 東経135.7789417度 / 34.8648111; 135.7789417
久津川車塚古墳(くつかわくるまづかこふん)は、京都府城陽市平川車塚にある古墳。形状は前方後円墳。久津川古墳群を構成する古墳の1つ。国の史跡に指定され(史跡「久津川古墳群」のうち)、出土鏡・長持形石棺は国の重要文化財に指定されている。
南山城地方では最大規模の古墳で、5世紀前半(古墳時代中期前半)頃の築造と推定される。現在ではJR奈良線が古墳域を縦断する。 城陽市北部、木津川右岸の丘陵地に築造された大型前方後円墳である[1]。丘陵一帯では、本古墳や丸塚古墳・芭蕉塚古墳の大型古墳3基を含む古墳100基以上からなる久津川古墳群の分布が知られる。調査は1894年(明治27年)の未盗掘石棺・副葬品の発見を契機とし[2]、これまでに数次の発掘調査が実施されている。 墳形は前方後円形で、前方部を南方向に向ける。墳丘は3段築成[3]。墳丘長は約180メートルを測り、久津川古墳群中では最大規模で、南山城地方でも最大規模になる[3]。墳丘外表では葺石や、各段に埴輪列が検出されている。くびれ部西側には造出を付す[4](くびれ部東側にはなし)。また墳丘周囲には2重の周濠が巡らされる[3]。埋葬施設は、後円部中央で長持形石棺直葬1基、西側造出で組合式木棺直葬1基が確認されており[4]、それぞれ副葬品が検出されている。 築造時期は、古墳時代中期前半の5世紀前半頃と推定される[4]。久津川古墳群中では丸塚古墳と同時期の築造で、次いで梶塚古墳
概要
古墳域は1979年(昭和54年)に国の史跡に指定され[1]、出土鏡(泉屋博古館保管)・出土石棺(京都大学総合博物館保管)はそれぞれ1953年(昭和28年)・1991年(平成3年)に国の重要文化財に指定されている[6][2]。
遺跡歴
1894年(明治27年)、奈良鉄道線(現在のJR奈良線)の敷設に際する後円部発掘。未盗掘状態の石棺・副葬品の発見[2]。
1915年(大正4年)、梅原末治による再調査(1920年に報告書『久津川古墳研究』の刊行)[2]。
1953年(昭和28年)11月14日、出土鏡が国の重要文化財に指定[6]。